見出し画像

1人で仕事など出来ない


「フリーランスで」
「場所時間問わず」
平成後期、ないしは令和から一般化してきた(と思ってる) "ノマドワーカー"

行動力、才覚、あるいは人柄 etc..
色んな要素が噛み合ってくると、報酬に直結しやすい。(と思ってる)

ただ、そこは危険地帯の無法地帯。
地雷原で一輪車漕ぎながら蕎麦配達するくらいリスキー。

そして常に思う
「これで正解なのだろうか」
「もう少し早くから手をつけてたら…」
この二重問答。

僕には兼ねてから憧れている人が居ます。

アーティストの Lee izumida さん

ニートと居候とたかさきの 高崎さん

作家/映像クリエイターの 斉藤ほのかさん

いつも皆様の活躍を拝見して、勝手ながら自身の活力に変換しております。ありがとうございます。



文章がとっ散らかってしまいました。

憧れの存在を見ていて思うこと、
やっぱり凄いな〜もそうだし
こうなりたいな〜は常だし
抽象的な感想ではなく、共通しているのが
「人の繋がり」を自身のワークスペースに巧みに落とし込んで、私生活諸共にプラスの作用を与えている(と僕は思っている)

その点自分はどうであろうか。
何もバックボーンのない自分においては、この環境は恵まれている。ご飯を選んで食べれて、しっかり税を収めることさえ叶ってる。

でも、自分の行動力の無さ由来の、うっすらとした絶望がいつも張り付いてくる。

そして、この絶望と表現したモヤを濃くするのも、かき消すのも自分にしか出来ない。

作業が滞っている状態で迎える夕方が本当に嫌い。
夕方は悪くないです。
足掻いてもがいて、立ち往生。
だけど時間はルール通りに進むという対比。

2作続けてやや鬱展開となっております。
ただ、noteを始めて良かったと思ってます。
良い意味で色んな人がいて、自分はこの世界の中のとある一体にしか過ぎない。
総理として国民を導く役目も無ければ、プライベートを望まずして晒される芸能人でもない。
勝手に背負っていた荷物が少しだけ軽くなった気がしてます。

もっと色んな事を発信したい、享受したい。
年に1冊も本を読むことは無いので、今年は活字の本を買ってみようかな。

本屋さんにも書店員さんが居て、僕のレジを担当してくれた店員さんが明日休む為に代わりに来る他の店員さんが居て、本を届ける運送の人が居て、ていうか本を書いた人が居て。
人々の所業の重なりの上だよね、ノマドもなにも関係無い。

明日にでも本を見に行きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?