先輩と僕2 独りと慣れ

エンターキーを一度押して、僕はゆっくりと伸びをした。誰もいない、静寂に包まれた事務所。時計はすでに11時を回っている。ここ最近、こんな日が続いていた。

 きっかけは、恋人にフラレたことだった。

 とても忙しい職場に勤めていた彼女は、休みもなかなか取れず、会える機会も少なくなっていった。いつしか自分の寂しさだけを押し付けるようになり、相手を困らせた。なんで会えないんだ。仕事がそんなに楽しいのか? 連絡くらいよこせよ・・・。

 もう付き合いきれないと彼女から言われたとき、自分が甘えていただけだったとやっと気がついた。

 一つため息を吐き、椅子から立ち上がって荷物を持つ。失恋の寂しさをごまかすために、がむしゃらに仕事に取り組むようになってから三ヶ月。体の芯が重く、体調が優れないことが自覚できた。

 事務所をでると、資料室の電気が付いているのが目に付く。扉を開けると、たまに昼食をいっしょにとる女性の先輩が一人、作業台で書類を封筒につめていた。カッターシャツをきた先輩は、背筋を伸ばし、慣れた手つきで書類を詰めていく。

 その後ろ姿が、不意に別れた彼女と重なった。一人黙々と作業をするその姿は、ひとりきりの事務所で残業をする彼女を連想させた。きっと、自分の知らないところで、あの子はこんな風に仕事をしていたのだろう。

 相手がこちらに気づいて振り返る。見つめていたことを悟られないように慌てて作り笑いを浮かべた。手伝う旨を口にしたが、丁重に断られる。それ以上は無理に願い出ず、先に帰ることを詫びて扉を閉めようとしたところで、ふと、その手が止まった。こんなことを聞いては失礼かと思いつつも、思わず疑問が口をつく。

「あの、たった一人でこんな夜遅くまで仕事して、寂しくないですか?」

 別れた彼女がよく言っていた。誰もいない事務所で、ポツンと仕事をするのは孤独で寂しいのだと。それを確かめるように、先輩に投げかけた疑問だった。

 振り返った先輩と、こちらに向けられる苦笑い。答えは、すぐに返ってきた。

「入社すぐの頃はそう思ってた時もあったけどね。今は慣れちゃった」

 瞬間、まるで別れた彼女がそう言ったかのような錯覚に陥り、そして妙に納得した。

きっとあの子も、慣れたのだ。

 仕事の孤独を解消するように、会えばいつでも甘えてきた彼女。それがだんだんとなくなり、手をつないでべったりする回数も減った。別れる頃には、気づけば彼女は、一人で歩くようになっていた。僕だけが、一人で歩けていなかった。

 呆然となった自分に不思議そうな視線が向けられているのに気がついて、すぐに愛想笑いで取り繕う。改めて、先に帰ることを詫びて扉を閉めた。

 事務所を出て、一人家路につく。凛と背を伸ばす後ろ姿が、目に焼き付いていた。

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