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生きざまって、音楽にも結婚式にもやっぱり出ますね。

10年前まで秋葉原のライブイベントに一緒にレギュラー出演していた女性シンガー仲間の方の結婚式で、6年ぶりに渋谷に行ってきました。
敬意を表し、当時の私がよく着ていた衣装と同じ色の、緑のドレスで。

ミュージシャン同士のカップルで根っからエンターティナーのお二人らしく、ライブショー仕立てのそれは素敵でカッコいいウェディングでした。
フルタイムの音楽指導担当保育士になってから4年ほど自分のアーティスト活動を休止していた私には、ほんとにうれしかった再会。

私も20代の時の最初の夫(後に離婚)との出会いは路上弾き語りシンガーと路上ギタリストみたいな感じだったので、衣装から何から自分達でデザインして作って結婚式もライブショー仕立てだったんですが…
若さや未熟もあって、いま思うと、自分達がやりたいことを思う存分やりきったのは良いけど、お客様への思いやりやおもてなしが足りなかったな…という反省があります。

彼女達はさすがプロのエンターティナー!
歌や演奏が素晴らしくてカッコいいのは言うまでもないのですが、それだけではなく徹底的にお客様を楽しませ、お客様や関係者への愛があり、来た人や関わった方は全員笑顔笑顔。

それが息をするように自然に出来てるお二人から沢山の愛を受け取り、私を含めて幸せな気持ちになって帰って行った人ばかりだったと思いました。

彼女のそういうところ、秋葉原でレギュラーしてたときから大好きだったので、ほんとに私は見習わなきゃなぁ…と思ったし、愛される人・応援されるというのは意識が自分!自分!ではなく、人をいかに愛し、喜んでもらうことができるかを、常に思って行動できる人なんですよね。

そして、それができる人の歌や演奏というのは、やっぱり人間としての生き方や魅力が音楽・表情・立ち振舞いに出るので、ものすごく魅力がある。

なんだろう? 
一言で言うと愛のシャワーみたいに人を癒したり元気にするし、その人独自の色彩や香りが声や音にあり、だから生命力も色気もあって惹き付けられるんですが、そういう人って音楽も素敵だけどそれだけではなく、音楽以外も素敵な人なんですよ。

つまり、歌や演奏に魅力と色気があってカッコいい人というのは、私の知る限り絶対人間的にも魅力があって面白い人ばかりだった。

上手いとか曲や声や音楽が良いとかは、ある水準以上になるとステージに立つ以上当たり前になりますが…
上手いけど、曲も演奏も良いけど愛されない・応援されないケースは、プロアマ関係なく沢山いる。

普段の生きざまが、その人の歌や曲や演奏の「味」や「色彩」になるんだと思うんですよ。
そして、私はそういうアーティストが好きだし、そういう音楽が好きです。

これがある良いアーティストや優秀なアーティストが、自分よりも音楽が出来ない人や下手な人よりも応援されないケースも沢山ありますが、そういう場合はスキルやプロとしての行動ができるか以前に本人の周りへの愛が足りないのだと、近年になってからようやく気づきました。
無意識に人を見下しているのが、周りには伝わっていたりとか…

私も19年前、私のライブを見に来て下さった憧れのプロアーティストの方から後でそうしたことをこっそり注意され、そのときは意味がわかっていませんでしたが(更に私はそのとき優秀でも上手くもありませんでしたが)…
今はその方が何を言いたかったのかが、何となくわかります。
わかるまでには、かなりの長い年月や痛い体験が私には必要でした。

そういうことがあった後なので、プロシンガーとして活躍しながらご家族ご親族・お友達・ファンの方や関係者の方々を大切にし、ご夫婦の周りに笑顔が絶えない彼女達に対し、ほんとにカッコいい人達だな。見習わなきゃな。
…という尊敬の気持ちがあります。

そういえば、秋葉原のレギュラー時代に彼女と私には「バナナ事件」というのがありました。

リハのあと、出番待ちの私が本番まで時間あるからバナナ食べようと思って、会場の最寄りコンビニのレジに好物のバナナを持ってボケッと並んでいると、偶然コンビニに入ってきた彼女がそれを見つけ、急に弾けるように笑い転げだしたんです。
「いくよさん!かわいー!!」
と、彼女が私とバナナを見てひたすら笑い転げるのを見た私も、
「何で笑ってるのかよくわかんないけど、笑い転げる彼女かわいーなー」
と思って笑いだし、秋葉原のコンビニの店先で二人で誰にもわからない爆笑を繰り広げた謎すぎる光景。

今でも何で彼女が笑ってたのかがわからないけど、思い出すと私も笑顔になるし、10年後の結婚パーティーでもやっぱりその話になりました。

歩いてきた人生は違えど、やっぱり彼女のことも、この日に再会できた方やできなかった方も含む他のシンガー仲間のことも、私は大好きだし尊敬します。

そして、このウエディングに参加して彼女達に再会し、こう思ったことや考えたことは、これからの私を助けてくれる重要なヒントになりました。

この日の会場がある渋谷は、私がシンガーソングライターikuyo としての自分のライブや、他のアーティストのピアノサポートなどの沢山のライブをしたり、音楽や家族や過去の恋愛の思い出が多い街でした。

「過去」って、ソーダ水の泡みたいだと思います。

沢山の泡があり、そのときは一瞬一瞬、一生懸命で大切でかけがえのないものなんだけど、しばらくしたら大半の泡が消えているし、有るものも形や優先順位が変わってる。

そして、ずっと後になってから、いろんな出会いや再会がきっかけで「過去」が再浮上してきて、そのときに昔はわからなかったことが沢山わかる。

会場に向かうときから、ソーダ水みたいに弾ける沢山の「今まで」を、私はラムネの瓶を開けたときのなつかしい泡の匂いのように肌に感じていました。

消えてはじけたと思っていた沢山の泡から、何が残ったのか、何が再浮上して来るのかが、これからわかるのだと思います。

未来がゆっくりと、泡立つように動き出している。

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