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オタクが「萌えとエロは別物だ」と言わなくなったから萌えポスターは炎上した

もうタイトルの時点ですでに言いたいことは言い切ってしまっているので実はそれほど本文で書くことはないのだが、それではnoteの体裁をあまりにもなしていないので、そう思うに至った経緯をいちおう書いておきたいと思う。
だがこの話の結論はすでにタイトルに書いた通りのものなので、タイトルを見た時点で「そうだね」と思ったら本文をろくに読まずに「そうだね」とコメントして拡散してくれても一向に構わない。

そもそもどこが〝萌え〟やねん

「環境省が萌えキャラを採用して問題に!」みたいな話がSNSで騒ぎになったとき、僕が最初に思ったことはたった一つ。

え、「そもそもこれに萌える奴いんの!?」っていう驚きだった。

オッサンネタで恐縮ではあるが、〝いまいち萌えない娘〟の方がまだ可愛いらしいし萌えを感じる。
萌えキャラですらない、なんかよくわからないキャラクターが勝手に萌えを自称して、萌えを炎上させているとしか思えなかった。

別に「絵が微妙だから萌えない」なんて話ではない。可愛く描けている女の子のイラストはあくまでただの〝可愛く描けた女の子のイラスト〟でしかないし、絵の巧拙は萌えの必須条件ではない。

「萌え絵が批判されている」とか「萌えイラストは女性蔑視なのか?」とか、萌え批判に関する話題が世間を騒がし、萌えという言葉がやたら一人歩きしてしまっている。
だが、僕はちょっと改めて世間に対して問いたい。

萌えってなんですか?

どうも世間の萌えイラストという言葉に対するイメージは

・アニメキャラっぽい
・目が大きくてロリっぽい
・露出が多かったりミニスカだったりする
・性的興奮を誘因する要素がある

他にもまだあるが、大ざっぱに言えばこんな感じだろう。
だが僕は、「目が大きくてロリっぽい」とか「露出が多い」という理由だけでキャラに萌えたことなどない。萌えイラストと名付けられてはいるが、萌えという言葉の本来の意味とはあまりにも遠い。

僕がこれらのイラストが「萌えではない」と断言する理由はただ一つ。それはストーリー性の不在にある。

萌えとは物語の産物である

例えば『ドラゴンボール』の18号って萌えるじゃないですか。

たぶんドラゴンボールを読んでいる人の8割ぐらいは「可愛いよね」って感想になると思う。いや、多く見積もりすぎか? 自分が好きなだけなのでかなりひいき目に見てしまっている自覚はある。まあとにかく可愛いってことで話を進めさせてほしい。

だが、もしドラゴンボールを読んだことがない人が18号のイラストを見たところで、たぶん「目つきのキツイ怖そうな女」以上の感想は抱けないと思う。
もちろん「エロい」とも「ロリっぽい」とも感じないと思うし、あのキャラを見て萌え絵だと感じる人はそれほど居ないと思う。もちろん目つきがキツイ女に性的興奮を抱く人もいるだろうが、そういう人は、今はそうじゃない人のふりをして話を聞け。

我々は脳内にドラゴンボールのストーリーを記憶していて、キャラクターのイラストからストーリーを思い起こし、「可愛かった」という感情を呼び起こされる。

伊藤計劃風に言うなら「萌えはここにあります。頭のなか、脳みそのなかに」といったところだ。
目の前のミニスカの女子高生のイラストは萌え絵なんかじゃない。目を閉じればそれだけで消えるし、ぼくらは普通の生活に戻る。だけど、萌えからは逃れられない。だって、それはこの頭のなかにあるんですから。

そして逆説的な話だが、いまいち萌えない娘は「いまいち萌えない娘として生み出されてしまったという不幸なストーリー」をそのキャラクターの中に生まれながらにして内包している。
たとえイラストがイマイチでも、エロくなくても、肌の露出がなくても、その「ちょっとかわいそうな設定を背負って生まれてしまった女の子」という設定になんか萌えてしまった人が出てしまったのだ。

そういう前提で、改めて先述の環境省の自称萌キャラを見てみても、なんか色々と頑張って考えたような設定が書いてあるが、広告動画の中に全く活かされていないし、二人の関係性を感じさせてくれるような要素があまりにも少ない。そもそも設定は作品や演出の中で自然と理解できるように見せなくては意味が無い。
創作を真面目にやらなければ萌えを真面目にやったことにはならないのだ

萌えがエロではないと気付ければ、そもそもキャラを女にする必要はないし、男にだって萌えていい。
無機物にだって萌えてもいいし、そもそも漫画やアニメにこだわることもない。
「二次元のミニスカの女子高生でなければ萌ではない」と思ってんのはそもそも造り手の萌えに対する理解が足りていないだけだ。

萌えは燃えてない

性的な要素のあるアニメ絵風のポスターが掲示されるたび、世間の批判を集め、「萌えイラストが問題に!」という見出しの記事がニュースサイトに載り、オタクたちが「萌えを批判するな!」と憤慨するというお決まりの流れを幾度となく繰り返しているが、改めてここで言いたい。
そもそもそれは萌えじゃない

あくまで「デカイ胸」とか「短いスカート」とか「露出の多い服」とか「発情したような顔」といった性的な符丁が公共の掲示物に含まれていることが問題視されているのであって、別にそれは萌えとは一切関係ない。

公共団体や自治体が「若いオタク層に興味を持ってもらうために萌えを取り入れよう」という発想を持つこと自体は、別に批判されるようなものではない。オタク嫌いを自称している僕でも、別にオタクを対象にしたもの全てを滅ぼすべきだとまでは思ってないし、世の女性やフェミニストもそこまで排斥的ではないだろう。

だが問題は、おそらくその後にでてくる言葉だと思う。おそらく自治体の会議室で話し合ってる50代のホモソーシャルにどっぷり浸かった役人のオッサンたちが次に言う言葉は、「オタクってとりあえずエロいアニメキャラを描けば萌えるんだろ?」という雑な発想である。

で、こんなポスターが出てきて炎上する。

もうおわかりだろう。「エロいものさえ出しておけばオタクは萌える」とナメられているのが、自治体のオタク狙いが炎上する原因なのだ。
エロが炎上して、萌えがそのとばっちりを受けて犯人にされているだけなのである。

どれだけ『のうりん』が素晴らしいラノベだったとしても、このポスターの中に『のうりん』の肝心なストーリーは一部も含まれていないのだ。ただ、エロっぽいイラストがあるだけで、ここに萌えは存在していない。

オタク狙いで広告を作ることも、アニメイラストを使うこと自体も、実は最初から否定されるようなものではない。問題は、オタクの目を引くためにエロを安易に使おうとしてしまう体質なのである。

「萌えはエロと違う」ってとりあえず言っとけ

かつて僕が自信を持って自分をオタクだと名乗れていた頃、オタクたちの間には一つの合い言葉があった。それが「萌えはエロとは違う」という標語だ。
あれは決して「エロいものを楽しむための言い訳」とかではなく、アニメやマンガが社会に理解されて欲しいというオタクたちの願いがこもったフレーズだったのだと今にして思う。

「自分たちは作品から感じたストーリーやシチュエーションの素晴らしさを萌えという言葉で表現し、その萌えという感情を通してキャラクターに魅了を感じているだけだ」というメッセージが込められていた。少なくとも僕はそう考えている。

もちろんオタクの中のうちの多くが、最初からアニメにエロい要素しか求めていなかったというのも事実だろう。
アニメを単なる「エロ同人で犯されるキャラのカタログ」としか見なしていない同人オタクや、とにかくパンチラシーンがあればストーリーなんてどうでもいいようなパンツオタク。
そして作品を提供する企業の側も、「面白いアニメを真面目に作るより、エロいアニメを作った方が手っ取り早く儲かる」という事実に気付き始め、顕著に萌えアニメがエロアニメ化していった背景もある。特にKADOKAWAがデカイ顔してオタクコンテンツを牛耳り始めてからこの傾向が顕著になった気がする。

結果、オタク達は萌えという言葉の本来の意味を見失い、「オタクはアニメを性的な目で見ている人間だ」という理解が生まれ、「性的なものを与えればオタクは喜ぶ」というナメたマーケティングを許容してきた結果、地方自治体のポスターのような公共性のある媒体と乖離を起こしていったのだろう。

そして今やオタクでなくても、アニメやマンガのキャラを可愛いと思い魅力を感じる日本人はかなりの数増えている。彼らの方がよっぽど萌えを理解していて、オタクたちの方が萌えを見失っているのだ。

「萌えはエロではない。私たちが求めているのは魅力のあるキャラクターであり、キャラクターの魅力を感じさせる物語だ。だからキャラクターを宣伝に使うのなら、魅力のあるキャラクターと物語を生み出す努力を真剣にしてくれ」

オタクたちが自分たちの口からそう言えるようになるまで、この萌えポスターの炎上という空虚な茶番は続くことだろう。

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