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【上】芸人を目指してたら、プロ野球選手になっちゃった男の物語。人生は壮大なネタ創りだ!

はいどうもー。
芸人を目指してたら、プロ野球選手になっちゃった男。でおなじみの生山裕人(いくやまひろと)です。
堅苦しいのは嫌なので、イクヤマンって呼んでくださいね。
今日は名前だけでも覚えて帰ってください(言いたいだけ。漫才師への憧れ。漫才師LOVE。)

【※このnoteを読むあなたへ】
人生色々ありすぎて、お会いした人にちゃんと自己紹介したら2時間くらいかかるので、まとめてみたら、とんでもない超大作に。
《上》《中》《下》の3部構成でお届けするので、ハッピーターンと日本茶を片手にお楽しみください。はっぴーはっぴー。
《上》はイクヤマンがプロ野球選手になるまでのストーリーをお届けします。

なぜイクヤマンなのかというと、プロ野球選手時代のファンの方が、サプライズでこんなTシャツを誕生日プレゼントでくださったことが起源でございます。

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そのファンの方には、生山がこんなキャラクターに映っていたのでしょう。
会ったことのある方はご存知かと思いますが、どちらかというと陽気な人間です。

「生山さんって悩むことなさそう。」

出会ってまだ関係の浅い人には、よくそんな言葉をかけられます。
そりゃ悩んでる姿なんか見せても、周りの人は楽しくないですもん。

『明るさは相手への想いやり』

僕の尊敬する川本さん(高校野球部の先輩)がよく使われていて、生きていく上でとても大事にしている言葉です。

わかります?ねえねえ。わかります?
めちゃくちゃ素敵な言葉じゃないですか?
素敵の王様、ステキングじゃないですか!?
嫌なことがあっても、この言葉のおかげで明るく生きられます。キングに感謝の毎日です。

さて王様も登場したということで本題にいきましょう。

基本的には明るさ全開で人生をお届けしているイクヤマンですが、裏ではそんなことはなくて、凹みに凹んできた過去があります。
無謀な挑戦をしすぎて、4回くらい本気で死のうかと思うくらい悩んで、自殺相談ダイヤルに毎日電話していた時期なんかもあります。

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これがイクヤマンのライフラインシート。

「高低差ありすぎて耳キーンなるわ!!」

フットボールアワーの後藤さん、ツッコミありがとうございます。


「挑戦しよう」って簡単に言いがちやけど、挑戦には大きなリスクもあるんですよねー。
みんな無理しすぎないでね。生きてるだけで尊いよ。

さて、前置きが長くなりすぎましたが、36歳、年男の人生を振り返っていきたいと思います。

『人生は壮大なネタ創りだ!』

これがイクヤマンの人生のスローガンなのですが、このスローガンができた背景を少しは感じていただけると思います。

それでは、タイムマシンに乗って、幼少期に行くとしますか。

プロ野球選手なんか夢のまた夢

プロ野球選手って、アマチュア時代にどんな環境でプレーしていたと思いますか。
そう。皆さんが想像するように、ほとんどの選手は名門校でプレーし、甲子園に出場したり、どこかのカテゴリで全国大会に出てたりしています。

イクヤマンの球歴を振り返ると…

小学生→強かった。エースの平井くんにおんぶ抱っこ。1番 or 2番でショート。

中学生→大阪の公立中学校の軟式野球部。中3の時は春夏1回戦負け。

高校生→天王寺高校という大阪の進学校に奇跡的に合格。グラウンドは2日に1回しか使えず、使えてもサッカー部とフィールドホッケー部と共有。練習時間は2時間弱。バッティング練習は朝練のみ。もちろん甲子園なんて夢のまた夢。

浪人生→進学校の劣等生(リアルに359人中359番。天王寺高校のカスやから、"天カス"。うまいこと言った。)ということで、希望の教育大学に受からず浪人。1年間ボールもバットも握らない生活。

大学生→ 芸人になりたかったので、近畿大学文芸学部芸術学科演劇芸能専攻演技コースという、ブッ飛んだところに入学。授業で水とか火を演じる日々。
授業の関係で、硬式野球部にも準硬式野球部にも入れず、2部準硬式野球部へ。練習は週3しかなく、試合がない土日は休みという奇跡の部活。
大学から野球を始めたチームメイトもいました。ちなみにグラウンドは、レフトなし、マウンドなし、バッティング練習はティーバッティング1ヶ所のみ。

今しかできへんことをやるねん

さてここまで読んでいただいて「どうやってプロ野球選手になるねん。」って思いますよね。
僕も思います。いやー、人生って何が起こるかわからないんですよ。

・幼稚園か小学校の先生
・芸人

大学生2年生、当時21歳のイクヤマンが、将来なりたかった職業はこの2つ。
どちらも追いかけるために教育大への編入の勉強を始め、吉本新喜劇のオーディションを受けに行きました。

新喜劇のオーディションは見事に1次選考で落選。
同じオーディションを受けていたのが、乳首ドリルで有名な吉田裕さんなので、受かっていたら今頃、乳首をドリルされていたかもしれません。
乳首と共に歩む人生。夢しかないですね。


そんな中で、弱小準硬式野球部で野球やりながら、モヤモヤしてました。

身長は180センチ以上あるし、足と肩にはそれなりに自信はあったし、自分に可能性を感じていたんですよね。ちゃんと野球を教えてもらったらどれくらい成長するのか。
そして何より野球が好きすぎて、24時間、野球のことしか考えられないくらい没頭してたんですよ。

24時間、野球のことしか考えられないってなかなか厄介で、日常生活に支障をきたすんです。
友達に一緒にランチ食べようって誘われても普通に断って1人で練習しに行くし、舞踊の授業中(演劇学科だから踊る授業がある)は筋トレ、座学の授業では野球の本を読む、みたいな感じなんで。

土日が空いてたので、インターネットで社会人のクラブチームを探して、奇跡的に立ち上がるタイミングだった八尾ベースボールクラブに入団。
月、水、金は大学で準硬式野球、土日はクラブチームで硬式野球という、掛け持ち生活を半年続けました。

それでも全く満足できない。

あかんあかん。このまま野球に振り回されてたら人生狂ってまう。早く諦めなあかん。

「先生も芸人も後からナンボでもできるやん。野球で上を目指すのは今しかでけへん。」

30歳の自分を想像してみて、出した答え。
これがイクヤマンが上を目指した理由です。
プロ野球選手になれるなんて1ミリも思ってないし、なれるわけない。
でも、まだまだ上手くなれるし上手くなりたい。
上手くなるために上のレベルでプレーをしたい。

ドラゴンボールの孫悟空の感覚だったんでしょう。
強いヤツと出会わないと強くなれない。

独立リーグのトライアウト挑戦

四国アイランドリーグのトライアウトを受けることに。
親にはめちゃくちゃ反対されるし、クラブチームの人たちも無理やろって雰囲気満載。

周りはプロを目指し始めたって思ったのかもしれないけど、イクヤマンは諦めるためであり、何より自分の可能性にワクワクしてたんですよね。
"夢中" になってる人間の可能性って無限大なんです。周りの目なんか全く気にならない。

当時は24歳までという年齢制限があったので、4年間受け続けて受からなかったら、野球とは縁がなかったと諦めようと決めて受けたら、まさかの1回目で合格。

実戦では全然いい結果が出せなかったのですが、50m走が5.9秒、遠投105mだったので、身体能力を評価されたんでしょうね。

合格したら、反対していた人達も、手のひら返しで大祝福。
そんなもんなんですよね。前例がないところに挑戦するって、障害だらけなんです。
その障害を超えるくらい熱量がないと、いい結果はなかなか出ないんじゃないかな。

野球が嫌いになったプロ野球選手生活

さて、ただの野球好きがプロ野球選手になっちゃいました。
独立リーガーです。
そして、その2年後に千葉ロッテマリーンズから育成ドラフトで指名されてしまうんです。

もう意味不明。
このあたりは次回書くといたします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

では、今日もチャーミングにいきましょう!
夜に読んでる人は、明日もチャーミングに。

人生は壮大なネタ創りだ!

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