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不器用な男 ~カンザキイオリ~ 自己解釈

つい先日6/21 0:00から配信開始、
同日20:00からYoutubeにてMVが公開された
カンザキイオリさんセルフボーカルの新曲「不器用な男」
(まだ見てない方は こちら から)
その内容や私の感じ取った意味を述べていこうと思う。

※私の勝手な考えであり本来の意図とは反したものである可能性が高いため
 あくまで一人間の感想として捉えてもらいたいです。

歌詞の内容(Source

死にたくないから物語を書いていた
時代じゃないのにペンを使った
気取っていたいんだ
気が遠くなるほど物語を気取った
大人になるのが本当楽しかった

「死にたくないから物語を書いていた」
ここは「生きるために物語を書いていた」
つまりこの歌の主人公のいう「物語」とは自身の人生そのもの。
物語を書くことが人生を生きるために必要だと考えると
物語を書き終わったときとは自身の死を暗示している。
「気取っていた」というのは 〇〇を装っていたという意味。つまり、
「物語を気取った」というのは人生を装っていた。
つまり「自身の人生をそれっぽく生きていた」
(大した意味も持たずそれとなく生きていた)ということになる。

死にたくないから物語を書いていた
君ならどんな結末を望むだろうか
こんな展開は君なら笑うだろうか
泣くんだろうか怒るだろうか

ここで出てきた「君」とは主人公にとっての大切な誰かだと考えられる。
「君ならどんな結末を望むだろうか」とは
主人公と君の未来がどうあって欲しいかを尋ねたということ。
「こんな展開」というのは
急展開、つまり別れなのではないだろうか。
前文で未来の結末を考えていたのに急な展開に対して
君はどういった感情を抱くのか。

架空の君を書いていた
掴めない感触は綺麗で
それ全部フィクションなんだ
それでも書いた
終われなかった

「架空の君を書いていた」とは
主人公の考えていた「君との結末」が別れによって実現しなくなった。
いわば主人公と君との物語が終わってしまった。
それなのに架空の物語を書いていた。
架空の物語とはいわば主人公の理想の物語。
理想の物語なんだから全てが綺麗に思えた。
でもそれは「全部フィクションなんだ」
「終われなかった」ということからわかるように
主人公はまだ君に未練が残っているということがわかる。

こんなんで終わるかよ
書ききったって言えるかよ
春も夏も秋も冬も書いた
死にたくないから
ゴミみたいな部屋で
今日も生み出していた
そうさ俺は不器用な男
死にたくないよ 死にたくないよ 死にたくないよ
死にたくないよ 死にたくないよ

「こんなんで終わるかよ 書ききったって言えるかよ」
つまりこんなところで「物語」である人生を終わらしていいわけない。
「春も夏も秋も冬を書いた」つまり全てを書いた。
何故なら書かなかった時というのは物語が欠けた時。
人生が欠けてしまった時。書き続けないと人生は終わり、死んでしまうから。
「ゴミみたい部屋で 今日も生み出していた」
ここでいう「ゴミみたいな部屋」というのは
「部屋」→自分の生きている空間→この世界
「ゴミみたいな部屋」というのは
「自分の望んだ通りにならない世界」ということ。
ここでいう「生み出していた」というのは「物語を生み出していた」の意味。
つまり「今日も生きていたんだ」ということ。
「そうさ俺は不器用な男」
もし仮に主人公が「器用な男」なら、
「君」と別れることもなかった。やろうと思えば自分の望み通りにできた。
しかし主人公にそれはできなかった。それが故の「不器用な男」
つまり「自分の望んだ通りにならない世界で今を生きている。私にそれを変えることはできないけれど一生懸命生きているんだ」と解釈できる。
「死にたくない」 というのはこういった自分の望み通りにならない世界で
私は一生懸命生きている。死にたくない。死んでしまったら
この分の報われがないだろうから。いつか「架空の物語」を
自身の人生として体験できるまで死ぬわけにはいかない。
「死にたくないよ。」

人間らしさを知りたいから
物語を書いていた
正々堂々言葉が出せない俺は
人間じゃないから
言いたいことだけ書き留めていたら
物語が出来ていた
誰も見ないけどなんか楽しかった

「人間らしさ」ってなんだろうか。
今の主人公にとってそれは難題だった。
何故なら「君」と別れてから「架空の物語」に逃げていた主人公は
自分がなんで生きているのかよくわからなくなっていた。
人間とはなんなんだろうと思っていたのではないだろうか。
それを知るために「物語を書いていた。」
「正々堂々言葉が出せない」というのは自分の意見が言えないということ。
それは「架空の物語」に逃げていた主人公にとって「現実の物語」には
干渉することができない。「不器用な男」だから。
「現実の物語」つまり自身の人生に干渉できないということは
そもそも「人間」じゃないんじゃないのかと主人公は考えた。
「言いたいことだけ書き溜めていたら 物語が出来ていた」
「言いたいこと」というのは主人公が「ゴミみたいな世界」に対して
こうなれば「理想の世界」になるという意見のようなもの。
それを書き溜めて物語になっていたということは
この「物語」とは自身の人生ではなく「理想の人生」のこと。
もちろんそれは誰も見ることはできない。
けれど理想のものなんだから楽しいに決まっていた。

人間らしく笑ってみたいから
物語を書いていた
頬の筋肉はとうの昔に廃れちまった
評価されるたび嬉しくなるのは
きっと俺が醜いからだ
褒められたいと思うたび
自分を恥じた

「人間らしく笑ってみたい」というのは
主人公が自身を「人間じゃない」と考えている。だから
少しでも人間らしく振る舞ってみるために笑ってみようとしたということ。
そのために「物語を書いていた。」
でも「頬の筋肉はとうの昔に廃れちまった。」つまり「笑えなかった。」
「評価されるたび嬉しくなるのは きっと俺が醜いからだ」というのは
「架空の物語」を書いている、つまり「現実から逃げている」主人公は
評価されるわけがない。なのに評価されている。
普通の人にとって「評価される」というのは嬉しいことだが、
主人公は評価されるたび嬉しくなるのは自身が「醜いから」といっている。
「現実から逃げている主人公」が、ただ自身の理想を語っているだけなのに
評価されている。これは自分が「不器用な男」だから評価されている。
「不器用な男」を評価して欲しくない。
だから「褒められたい」という感情は
「一生懸命生きている自分を擁護してほしい」という感情からきている。
本当に自分は「不器用な男」のままでいいのだろうか?
主人公は「不器用な自分」を恥じていた。

会えないからボロクソ書いた
昔の友人先生家族
あの日愛した君すらも
それだけで優越感があった

今まで関わってきた人、友人や先生、家族そして君のことをボロクソに書く。
だってもう会うことはないから。どんなことを書いても許される。
そうすることで優越感(他者より優れているという自己擁護)に浸った。
ここでは過去の自分の人生との決別を意味している。

人生全部埋めるように
寂しさを全部埋めるように
朝も昼も夜も日々を書いた
倒れてしまうほどに
だって何にも
満たされやしないんだよ
そうさ俺は欲張りなんだ
生み出したいよ 生み出したいよ 生み出したいよ
生み出したいよ 生み出したいよ

人生を全部埋めるように、寂しさも埋めた。
つまり、自身の人生を忘れ去った。
寂しさも全て忘れ去った(忘れようとした)という意味。
「朝も昼も夜も日々を書いた」つまり全てを書いた。
それでも満たされることはない。
本当は、自分のことを思ってくれる人が欲しい。
自ら人生を切り離しておいてそんな願いは傲慢なことはわかってる。
「俺は欲張りなんだ。」
「生み出したい」とは「物語」を生み出したい。つまり
「物語を生み出す」というのは「人生を生きること。」
ここでいう「物語」は「架空の物語」なのか、
それとも忘れ去ったはずの「自分の人生」なのか。

音楽 恋愛
映画に旅行
話のネタになることは
なんでもやった
吐き出してはまた食らった
食らって泣いて吐いて泣いて
なんか人間みたいだな

「音楽 恋愛 映画に旅行」これらは自分の人生のこと。
主人公は「話のネタ」つまり自身の人生のイベントは
なんでもやったと言っている。
「吐き出して」受け入れ難い、嫌なことを忘れ去る。
「食らった」無理矢理でも受け入れようとした。経験しようとした
「食らって泣いて吐いて泣いて」つまり、
ある出来事を受け入れようとした(経験した)結果、悲劇により泣く。
それを忘れ去ろうとしてまた泣く。ということ。
これは「君」との別れのことであり、あらゆる不幸な出来事なのかもしれない。
主人公は自身を「不器用な男」であるから「人間じゃない」と思ってた。
でも、人生において喜怒哀楽に触れている自身はもしかしたら
「人間なんじゃないか」と考えるようになった。

人生全部焦がすように
ひたすらペンを震わせた
何年何十年生涯これだけだった
こんなものがクソの役に立つものか
そんなのわかっている
わかっているのに

「人生全部焦がすように ひたすらペンを振るわせた」つまり、
ひたすらに物語を書き続けていた。人生を十分に描き続けたつもりだった。
しかし「何年何十年生涯これだけだった。」思っていたより少なかった。
「こんなもの」というのは「主人公の人生」のこと。
こんなもの役に立つかもわからない。
ならもう辞めてしまおうか。
わかってるのに、辞めれなかった。

こんなんじゃ終われない
書ききったって言えやしない
春も夏も秋も冬も書いた
死んでしまうから
ゴミみたいな部屋で
泣きはらしながら書いていた
そうさ俺は不器用な男
死にたくないよ 死にたくないよ 死にたくないよ
死にたくないよ 死にたくないよ 生み出したいよ
生み出したいよ 生み出したいよ 生み出したいよ
生み出したいよ 死にたくない

「こんなんじゃ終われない 書ききったって言えやしない」
つまり、思っていたより短くまとめられた人生は
この程度じゃ終われない。十分楽しめたなんて言えやしない。
「春も夏も秋も冬も書いた」つまり全てを書いた。
何故なら「死んでしまうから」でありそれは
一番の「死にたくないから」とは異なり、
より意思が強いもの。絶対に書き辞めてはいけない。
「ゴミみたいな部屋」とは
「自分の望んだ通りにならない世界」ということ。
ここでは一番の「今日も生み出していた」ではなく
「泣きはらしながら書いていた」となっている。
つまり、感情に触れている主人公はまさに人間そのものであり
「人間らしく生きていた」という意味で解釈できる。
「不器用な男」というのは一番とは異なり、
「自分の望んだ通りにならない世界で人間らしく生きている。一生懸命生きているんだ」という意味に変わる。
「死にたくないよ」とは文字通り、
人生を諦めたくない。死にたくない。という意味で、
自分の意思で辞めるなんて絶対にしたくない。
「生み出したいよ」とは
「物語を生み出し(書き)続けたい」という意味で
もっと人生を楽しみたい。という意味。
最後の「死にたくない」には影に隠れた意味などなく、
ただ純粋に主人公の「死にたくない」という感情の叫びが歌われている。

まとめ

一番では
主人公は人生をそれとなく生きていた。
何故なら彼の人生は理想通りではなかったから。
しかし、本当の自分は人生から感情をもろに受けていた。
気づかないだけで。
もう二度と辛い思いをしたくない主人公は
自分の理想通りの世界を望んでいた。
それを楽しむまでは死ぬわけにはいかない。
二番では
主人公は理想の世界に閉じこもってしまい
自分が何故生きているのか、人間なのかすらわからなくなった。
でも、本当は救いの手を待っている。
自ら現実の世界を切り離した自分が
現実の世界をまた生きたいと本心では思っていた。
三番では
喜怒哀楽に触れることのできる自分は
やっぱり人間なんじゃないか。
というのを自身の経験から理解することができた。
救いの手はすでに来ていたことに気づいた。
不器用ながらも、人生を人間らしく生きている。
それでいいじゃないか。死んでしまったら元も子もない。
また人生を生み出していこう。

という主人公の感情の変化と人生についてを一つの物語にしたかのような
歌詞であり、その感情をカンザキイオリさんの歌声や叫によって
表現された曲だった。

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