人生2度目のうつ病について。

うつ病人です。

しかも人生2度目の。

短期間って程でもないけど、10年くらいで再発するとは思ってなかったわー。

正直なところ、1度目のうつ病のときのことは余り覚えていない。きっかけとか、ところどころは覚えてはいるけれど。どうやって生きていたとか、どうやって寛解したのか、とか。

きっと、防衛本能で忘れているのだと思う。

1度目も2度目も、仕事がきっかけだった。ただ、大きく違っていたのは2度目の今回は、再発のきっかけは仕事だったもののその数年前からの下地があったということで。その下地は後々また書くかもしれませんが、その数年前の当時、10年近く同棲していた相手が、所謂モラハラDV自己愛と揃った方だったんですね。しばらく逃げるという考えに至らず、耐えて耐えて、もうもはや自分が悪いのかもしれないとか思っちゃっていた時期が長く、解放された後(逃げた)でも、自分の中でずっとのし掛かっていたんですね。

気付いてみたら、仕事の嫌だったことと共に大解放されてしまったようです。

仕事の限界がきて、残業して帰ってきた後で旦那さんの前で大泣きしました。「もう嫌だ」と。

そしてしばらくは派遣会社の手続きだったり、病院探したりでくたばりながらも今後の平和のために動いていたわけですが、通院しているうちに徐々に出てきたんですね、仕事ではない嫌な思い出が。気が付けば思い出したくもないのにトレースするように思い出してはぐったりして、を繰り返し、そこに更に仕事のことも重なって反芻しては自己嫌悪に陥りつつ、医師になだめられつつ生活していました。

うつの症状としてはよくある死にたくなってみたり、考え込みすぎてみたり、楽しいものが思いつかなかったり、という心理的なものから頭痛、肩こり、腹痛、腰痛と身体の不調まで絶賛公開中でした。今もそうです。5年経ってもなかなか落ち着かないものですね…。

その中でも、今一番しんどいなと思うのが、いわゆるマルチタスクが利かなくなっていることです。今は自宅警備員状態なので家のことをやっているのですが、1日ひとつからふたつの事象しかできなかったり、何故か料理がつくれなくなってしまいまして。

1人分の昼食くらいは適当なのでどうにでもなるのですが、人のために作る、ということがとてつもなくハードル高くなってしまいました。なので今は夕食は旦那さん任せで、気力のある時やここと決めて動けたときに1品だけ作る、とかそういう形でやらせてもらってます。

2度目とはいえ、やっぱり今まで出来ていたことができなくなるって辛いなぁ、としみじみ。

そして気持ちの中で大きく変化したのが、「外に働きに行くことが怖い」でした。

以前はそこまでなかったし、生きる術としても技術屋としても(いわゆる理系の実験屋をやっていました)仕事は続けたい、と思っていたし、寛解してからは似たような職種で働き続けました。

しかし今回はそうはいかない。ちょっと違う分野(生物から化学)に異動して合わないと思ってからは化学の世界はこんなに怖いのか、と恐怖の対象にすらなっております。生物だったらまだやりたいかもしれない、という一縷の望みはあっても、もう年齢的にも知識も置いてきぼり感が凄く、そもそも外に働きに行くのは嫌になっている、という。

そんなとき、旦那さんが一言、「自宅でも今は仕事が出来る時代だよ」という新たなきっかけを作てくれました。

まだまだそこに到達するまでの気力は戻ってませんが、仕事が出来ないという劣等感からは解放された気がして、少し先が楽しみになってきたところです。

このnoteを始めたのも、スマホだけじゃなくて久々にパソコンに慣れておきたいというきっかけがあったし。もちろんスマホも大活躍なのでどちらでも思ったときに少しずつ書き足していけるのは嬉しいことだな、と。

読んでくださる方には、重い気持ちになってほしい訳ではなく、ただ事実こういうことなんです、という記録をつけたい気持ちと、皆さんはならないように気を付けてほしいこととかをこれから書けたらなぁ、と考えております。

どんな病気もケガも辛いし大変です。

ただ、予備知識と戦える術があると少しは心構えが違うと思います。

今は新型コロナウイルスでこんなご時世だったりもするので、気に病む方も多いかもしれません。

だからこそ、凝り固まらずに好きなことを探して見つけて、穏やかに柔軟に過ごせるようにしてください。そして、ちょっとでも異変を感じたらお医者さんを頼ってください。

標準治療はとても大事で基本です。

まずはそこから。

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