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逃げつづけて

昔から逃げ足の早い人間だった。

思えば小学生の頃、スポーツは苦手でとりわけ球技は苦手で、跳び箱はできないし、まず太っていた。

なのに鬼ごっこの逃げ足は誰よりも早く、つかまることなんてめったになかった。
そのくせ自分が鬼になるとなかなか捕まえられなくて、追いかけるのもすぐに諦めた。

中学生の頃、友達二人で公園に行くと不良がいて、わけもわからず因縁をつけられて暴力をふるわれそうになった。

僕はその空気を察して誰よりも早く自転車にまたがり、その場から逃げた。
少し遅れて友達もついてきて、その後ろから不良が追い回してきた。

全速力で逃げると、不良はおろか友達の姿さえ見失った。
あとでなんとか合流したけれど、友達には嫌味のようなことを言われた。

これも中学生の頃、クラスの可愛い女子にちょっかいを出してたらその節にスカートがめくれてしまった。

それを聞きつけた彼氏が激怒して、僕のもとへやってきて押さえつけ、一発殴った。

まさかの事態に逃げられなかったのだけど、僕はその足ですぐ学年で一番怖い先生にチクりにいった。

そのあと僕らは先生に呼び出され、殴った彼氏はバツの悪そうな顔をして僕に謝罪した。

高校の頃、僕はバンドを組んで音楽に明け暮れていた。
中学の頃のネズミのようなふるまいで馬鹿にされてたときと違って、僕はちやほやされた。

なぜか少しだけ音楽のセンスがあって声がよかったから、好きなように歌ってるだけで周りは褒めてくれた。
なんとなく出したコンテストでまさかのグランプリにもなった。

僕はプロになると思っていた。
だけど当時のバンドメンバーに気に入らない人がいて、高校卒業と同時に辞めてもらうことにした。
彼は悔しそうな顔をしていた。

それから大学に進んでも音楽をつづけて、新しいバンドを組んだ。
高校というコミュニティを外れると周りはちやほやしてくれないもので、人がいないライブハウスで自分を慰めるように歌を歌っていた。

時々褒めてくれる人がいて、そんな人には思いきり懐いた。
プライドだけは高くて、自分はいつかプロになると思い込んでいた。

20代も中頃になると、どうも様子がおかしいことに気づいた。
全然売れる様子がない。
よく聴きに来てくれる女の子は褒めてくれるのに、世間はまったく自分に興味がないのだ。

それから僕は、自分の音楽はなんの意味もなくつまらないものだと思い始めた。

そうなるともう、何も面白くない。
あんなに粋がってたのに、ステージに立つことさえ恥ずかしい。客もいないのに。

僕はバンドを辞めることにした。
何人かは寂しがってくれたけど、ある友達は「やっと普通に働くのか」と言った。
怒る気さえ起こらなかったし、その通りだった。

それから僕はなぜか体調を崩した。
きっかけは電車に乗っていたとき、突然立っていられないくらい気分が悪くなった。
電車をなんとか降りてベンチに座り、歩けないので通りがかりの人に駅員を呼んでもらった。

駅員の部屋で横になりながら、意味不明の不快感に怯えていた。
少しすると気分がよくなったので帰ることにした。
帰り道は何事もなかったかのように気分がよくて、家まで歩いた。

ただ、それからというもの意味不明の不快感は続いた。

内科で処方される薬で少し良くなった気がするけれど、いつまで経っても治らない。
半年経ってようやく、これが精神由来の疾患だとわかった。

すごく安心したことを覚えている。

心療内科でもらう薬を飲んでいれば、以前と比べればだいぶ良くなった。

しかし、それからあまり無茶はできなくなった。
いつ発作が出るかわからないから出かけるのも億劫になったし、久しぶりに歌おうとしたら気持ち悪くなってしまって、すぐにギターをしまった。

それからは行きたくない用事はすべて体調のせいにして断った。
何度か誘ってくれる人もいたけれど、そのうちに誰も僕を誘う人はいなくなった。


何年か経って、僕は結婚した。

唐突かもしれないけど、人生にはタイミングというのがあると思う。
どんなに頑張ってもうまくいかないこともあれば、何もしていないのに手に入れるものもある。

とても素敵な人だ。
思いやりがあって裏表がなく、かわいくてちょっと抜けている。
彼女を好きになる理由はいくつあっても、嫌いになる理由は探すほうが難しい。

でも。

穏やかで慎ましくて不自由のない生活なのに、どこか物足りないのだ。

このままいけばずっと幸せな生活が待っていると思えるのに、それが耐えられない気がするのだ。

逃げ足だけが早かった頃。
チクってやり返した頃。
気に入らないメンバーをクビにした頃。
さっさとバンドを辞めた頃。
嘘ついて人を避けた頃。

いつだって都合のいいように逃げてきた。

僕はいま、また逃げようとしている。
明日は、どこへ行く?

#創作大賞2024

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