影ちゃんの復帰と鈴花ちゃんの存在感としゃおりさんの言葉と欅坂46の停滞(2020年上半期)
2020年ももうすぐ終わりだ。今年はたくさん自己表現をしたいと思ってブログを書いてきた。満足できることもあればそうでもないときもあったけれど、面白い記事(を書いている人)に出会えるとやっていて良かったと感じる。
今回、2020年の振り返り記事を書いている方も多く、一年の振り返りとして私も重い腰を下ろすことにする。
1月 旅立ち
誰もが知る由のないことがある。なぜ理想と現実のギャップはこうまでに大きくなってしまったのか。欅坂46のメンバーの3人が卒業or脱退してしまったこの時期は大きな絶望感があった。シングル発売から1年近く経ち、紅白の新不協和音を見せつけた彼女たちの新しい道が始まるかに見えた段階での大きなニュースだった。
同時にこの時期は日向坂46のドラマ「DASADA」の放送が開始され、毎週のようにHuluでゆりあ(小坂菜緒)の能天気な性格に癒され、しゃおりさん(渡邉美穂)の本物の熱さに感動していた。
対照的な両グループに対して、私はどのような感想を抱いていたのだろうと振り返るとこんなことを言っていたらしい。
2月 暗雲
この時期はたくさんはてなブログを書いていた時期みたいなので、精神的に充実感があった頃なのかなと思うけれど、それも新型コロナが流行りだして怪しくなりだした時期。日向坂46の改名が発表されて1年が経ち、卒業を発表した井口眞緒に対して齊藤京子が小説のエピローグのような出会った当時のエピソードを語っていた( https://www.hinatazaka46.com/s/official/diary/detail/32599?ima=0000&cd=member )。この二人の関係性も目立たないけれど面白い。齊藤京子が井口を頼るところがあまり想像がつかないけれど、今も仲良くやっているのだろうか?
2月19日には4thシングルの「ソンナコトナイヨ」が発売されて、ソンナコトナイヨの世界(仮)というブログ( https://ikurin0625.hatenablog.com/entry/2020/02/18/214454?_ga=2.176699685.1270956529.1609334250-44094350.1609334250 )も遊んで書いた。まぁ誰が見てんだろって感じだけど笑。
DASADAの個人的ベストバウトもこの時期で、ゆりあとしゃおりさんの雨の中の向き合って語り合うシーンは感動ものだった。
この作品のしゃおりさんが私は好きで、こんなツイートもしていた。
3月 低空飛行
とりわけ感情的な人間ではないから、一喜一憂するタイプではないけど、これからのオタク活動について悩んでいた時期みたいだ。影山優佳ちゃんのトークも解約するようなバカみたいなことを考えた時期だったが、意思が薄弱で結局離れることができなかった。
この頃は、影ちゃんの受験に関して気に入らない言説(東大に入るような優れた頭脳を持っていることがアイドルとして貴重であり商品価値がある)が出回っている時期でもあって、精神的に参っていたのかもしれない。そんな無神経なアイドルオタクとは相容れないし、そもそも見かけや表面的な能力の高さだけに目を向けていて推しとは言えないだろう。
4月 悪戦苦闘
新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が発令され、在宅勤務なるものを初めて体感した。同時に、この時期、仕事関連で厳しい状況が生じたため、あくせくしながら日々を過ごしていた。今までで一番残業したのはこの4月と5月である。
日向坂46のドキュメンタリー映画は3月末、欅坂46のドキュメンタリー映画は4月初旬から延期になり、楽しみにしていたエンタメが遠のいた。日向坂の春の全国ツアーも延期(後に中止)となってしまい、閉塞感に包まれる日々。とりわけアクティブなアウトドア戦士でもないから受け入れるのに抵抗感は大きくはなかったけど、じわじわと寂しさが響いてくる。仕事忙しくてそれどころじゃなかったけど笑。
とはいえ、アイドルイベントがなくなったからと言ってアイドルから離れられるというわけでもなく、それだけ当たり前の存在になっていることを実感した。
5月 青天の霹靂
富田鈴花ちゃんが自粛期間中にめちゃくちゃたくさんメッセージを送ってくれていて、とりわけ、DJすーじーのパーリーナイトニッポン(ラジオ配信)とか楽器演奏とか自作ラップとか、内容のあるコンテンツばかりで、それをたっぷり堪能しようと思うと時間が足りなくて仕方がない時期だった。
私が鈴花ちゃん(本人はすーじーって呼んでほしいみたいだけど、私は鈴花ちゃん呼びが好きなんだ)について語ることは多くはないのだけど、彼女の異常なまでの自己評価の低さには今でもビックリする。彼女の最近のパフォーマンスを見ても歌を聴いても、見る側を惹き付けて離さない強烈な魅力があるのに、いつまで経っても謙虚だし、努力を忘れない子なのだ。
バラエティで負け犬キャラというか残念さを強調されてもめげずに頑張るみたいなキャラが本人にどれだけの負荷を掛けているのか分からないけど、バラエティにもパフォーマンスにおいても彼女無しでやっていくのが難しいくらい今では大きな存在になっていると思う。能力の高さを顕示しながらも、彼女から出てくる人間らしいひたむきな姿勢がファンを魅了してやまないと思うし、そういう彼女が私は好きだ。
しかし、衝撃は5月26日にやってきた。影山優佳ちゃんが日向坂46に復帰したのだ。2年近く経っての復帰は嬉しい限りだったが、日々の仕事に忙殺されていた私はその知らせは青天の霹靂で、2018年6月1日の青天の霹靂に負けないほどの衝撃だった。
復帰後初のブログ( https://www.hinatazaka46.com/s/official/diary/detail/33993?ima=0000&cd=member )は印象的で、当時19歳になったばかりとは思えない冷静な割り切りは、その後の彼女の活躍を暗示しているかのようだった。どれだけの深い思考と葛藤があったのだろうと想像すると身につまされる思いがあったが、それを具体的には見通せないファンとしての限界にもぶち当たった。もちろん、止まっていた時間が動き出す喜び、皆と同じ日向坂46の衣装を着た彼女が、今まで参加していなかった曲に参加してパフォーマンスする姿を想像すると心が躍った。新しい日常は始まるかに思えた。
6月 失望と当惑
アイドルに過度な期待をしながら応援しているわけではないし、恋愛も勝手にしやがれというスタンスだけど、たまに失望することはある。この時期は元欅坂46の長沢菜々香さんのグループ在籍時の諸々が暴露されるなど、しょうもない煩悩に悩まされた。欅坂46が新たに生まれ変わるといっては浮上できないようなもどかしい日々が続いた。
日向坂46に視点を移すと、影山優佳ちゃんの毎日のブログやメッセージが続き、これが以前から求めていたことなのかもしれないと思うと同時に、月に数回の更新に慣れていた自分はこの変化に当惑していた。アイドルが生活の一部であることは疑いないことであるけど、好きなアイドルにどのようにコミットしていったらいいのか忘れてしまっていた。
薄情といえばそれまでだが、具体的に好きで好きでたまらなくて、抱きしめたいとか愛でたいといった感情はあんまり湧いてこないのだ。それは年齢的な問題もあるけれど、彼女に抱く気持ちが尊敬心に起因する面が大きいというのがあるかもしれない。
それについて割り切っていたはずなのだが、復帰してたくさん彼女の存在が感じられるようになると、周りの影ちゃん推しとのギャップを感じた。なるほど、影ちゃん推しの一致団結の盛り上がりは、彼女が復帰する前に誰もが彼女を求めていたという共通点から来ていたのだなと実感した。
以上(後半に続く)