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今までの習慣が自分を苦しめてるとわかった途端、心臓が痛くなった

今まで私は気遣いについてかなり考えて生きてきた
というより、
そこをマスターするしか心を保ちつつ
生きていけなかった(それでもかなり辛かったが)
そして、気遣い出来ない姉を心底嫌悪した

今日たまたま見つけたnoteを読んで
ああ!そう!そうやねん!わかる!となったから
突然書くことにしたのだけれども。

https://note.com/shiori_tagami/n/nce225466184d
【↑ たがみしおり さんという方のnote】


美徳とまでは思ってなかったつもりだったが
これを読んで
美徳として生きてきたことに気付かされた


人に出されたときに食べれないと失礼だし、
不快にさせれてしまうかも
という意味のわからない憶測からの
苦手な食べ物の克服
(これは案外役に立っているけど
果たして必要だったのかと疑問ではある)

この人も悪い人ではないし、
このくらいで嫌ってしまうのはお門違いだ
という中々の博愛主義的思考

苦手な人、という感覚を失くすために
相手がどう対応したら良くしてくれるかを
何気なく周りに聞き出し、そういう風に振る舞う

等々…


まあ、自分を生きやすくするためにしてきたことで
首を絞めて生きづらくしていることに
やっと気がついた
それは繊細さんの本を読んで
嫌いなものは嫌いでいい、という思考を大事にする
という感じの一文が出てきたときに
気が付いたのだけれども

これはもう私の中で
大量の矢で心臓を直撃された
くらいの衝撃だった、痛かった

嫌いってなんだ、
苦手と嫌いの境目はどこだ、
ということをぐるぐる思考しつつ
とりあえず、好きを優先的にやっていこうかなと
思っている
少しでも自分を生きやすくしていきたい