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【FF16】 駆け抜けた… 【ネタバレ感想】

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※※※ ネタバレ注意 ※※※
リリースから早1ヶ月も経ちましたが、
ネタバレを大いに含みますのでご注意を。
あと所々でFF14が〜と書いてます。
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ほぼ全てのサブクエとモブハントを消化してメインストーリーをクリアし、今は2週目を遊んだり、初見プレイを始めたばかりの同居人の横でニヤついたりしている。
ドラマ3シーズンくらい見たような圧倒的ボリュームであり、PS5専売は英断だったんだなあと、そしてFFはやっぱり読み物なんだなあとハルポクラテスの備忘録を眺めながらファンタジー小説読み切ったような充足感に包まれている。

ボリューム故に忘れてる事や考察不足はあるが、好き勝手な感想をつらつら書いてく。



モーグリの存在感

「この時代の土壌のこの標高にこんな植物は存在しないとなり、かなり調べて調整した。食器など小道具についてもそうだ。」

直前の放送でこう言うだけあって、中世ヨーロッパを再現する方向というのは、幻想的なイメージの高かったFFからすると逆に新鮮だった。
シックな色合いの世界には召喚獣の美しさも際立つ。町という町も同じ作りが一つもなく、その風土に住み着いた雰囲気が感じられて繁々と眺められる。ダンジョンもぼーっと眺めるために敵を一掃している感覚で進めている。

しかしそれだけ徹底した雰囲気の中、やっぱりモーグリの存在感がすごい。
一体しか登場しないにも関わらず、戦争だ復讐だと世界が騒いでいる中このデフォルメ白毛玉の浮きっぷりったらない。

でも奴はこれだよな、モーグリはこうなんだよなあ…とふよふよ浮遊する見慣れたナリをしみじみ見上げるが、それも次第に慣れてしまう不思議。
変にモグラとコウモリを組み合わせたリアリティのある架空の生物を描くよりも、抜け感のある癒し担当というこの妖精はFFの世界観を形成している理と言っても過言ではなかった。


オマージュの香り

好きなシーンも沢山ある。
叔父にクライヴが本物であると証明するため、幼少期に遊んだ寸劇を披露するシーンは如何にも王族というか、なんとも貴族らしい所作で、このための伏線を張らずにすっと差し込んでくれるあたり品のある文学みがある。

大筋はちゃんとオリジナルストーリーになっているが、はたまた、そこかしこにオマージュやインスパイアの香りに気づくとニヤついてしまう。

FF9のラスボス感のある巨像とか、他所のゲームでも見かけたスフィア盤って発明だったんだなあと思ったりする訳で、大概の人間が分かるからこそ「あれかもしれない」「これかもしれない」と、ゲームだったり映画だったりを彷彿させるのは取っ掛かりを持つ仕掛けなのだろうと。

またFF14はFFのテーマパークであるというコンセプトがあるが、FF16もプレイしているとそのフレーバーが漂う。FF歴代も然りだが、FF14も含めてだ。
ファイジャ、ロウェナ商会、救いのあるエッダさん。
その見知った名称に遭遇するたびに「おっ?いや違う…。おっ!?いや違うな……」とデジャヴが行ったり来たりの妙な感覚になって面白かった。


サイドクエスト大好き!!!

主人公クライヴ君は淀みなく主人公な主人公なので潔く、この熱いメインストーリーだけを突っ走っても良いけれど、モブにはモブの営みがあるという訳で。

サブクエが沸き始めた頃は「足らぬ…足らぬぞ……もう十倍は出来る…!」とヤキモキしていたけれど、後々にサブクエは湧いてくるので見つけ次第しっかり消化して。
カンタンやマダムの話など最終的に前編後編に及ぶ中編ストーリーも、悪い予感にハラハラさせる展開からのしっかり腰を据えて迎える結末まで、メインでは味わえない感慨深さがあってとても好きだった。

さてここで個人的に印象に残った話をいくつか上げたい。

・クソ親子

ベアラー兵から抜け出すもまだまだアウェー感が強い頃。ザンブレクでサブクエが沸々出てきた辺りからの洗礼クエスト。
自分でも後味の悪い小話を書いていた手前、こういった嫌〜な話は好きではないのに気になってしまう。

サブクエを初めて一回断ってみたらちゃんとセリフが用意されていて、本当は全部これ用意されてんだなーと思いながら再度受注。
因果応報なオチで終わった所はFF16という作品の倫理観の線引きのようで、FF16においては正解な気がする。
ミッション完了後に野次馬根性で現場を見に行ったら、しっかり血痕が残っているのは抜かりなくて良かった。

・ベアラー三人にパンを渡す

丁度メインストーリーとしても転換期を迎える直前のサブクエの一つ。
一人だけ一度話しかけるだけでは手渡せず、時間経過かな?と後回しにして他のサブクエを消化したりするもこれだけ最後に残り悩む。

結構時間かかるのかな?と警告が出てるのにも関わらずメインストーリーへと突っ走ってしまい、そしたらこのサブクエが消滅してしまい…………
「ですよね!」と、やらかしてしまったのだ。

セーブデータは手動でも残っていたものの、散々シドの活躍を見た後であり、こう、プレイヤーのこんなご都合で引き返して達成してからまたやり直すのもなんだかなあと悩み、そうこう考えているうちに話の続きが気になるのでそのままに………。

でも脳裏を何度も過るのですよ。
あのベアラーにパン食べさせてあげたかったなあ……」と。
この薄っすら残る罪悪感が妙にリアリティ感じてしまって、ゲームなのにこんなやるせない気持ちに陥ってしまった無念。

・謎の孤児院

ウォールードにてオーディン戦直前にフィールドが開けたので探索をしていたら、妙に墓の多い孤児院があると思えばやっぱりサブクエの舞台で。
バイオハザートでもあるけれど、こうNPC不在で痕跡だけを辿るのは探索のやり甲斐があって楽しい。
謎と思えば謎なオチで、単純に死にきれないか死のうとしたタイミングで原初の楔の影響を〜という流れだろうか。

16は人間臭さや弱さを垣間見る機会が多く、こういうサイドクエスト行っていると、主人公の立場や大義みたいなものを忘れられて丁度良い。
この布洗ってきて!と言われて川で一生懸命洗いながら「俺は一体何やっているんだ?」と妙な気持ちになるのが、なんだか好きなのだ。そんなクエスト16には無いけれど。

また主人公の内面が立派すぎると感情移入できない部分もあるかもしれない。
だからこそ、こういった民衆の雑用をこなしていると癒される。自分もこういう作業しそうだな、とか駄目な奴いるなーとか。
ルボル編で出てきたNPCの「俺まで石投げちまったじゃねえか…」というセリフには笑った。


エンディングどうでしょう

エンディングが近づくにつれて、どこから最終盤の展開なんだ?とウォールード辺りから身構えていたけれど、割と16は次!ここ!これから華僑ですよ!みたいなのが露骨かというほど分かりやすくなっている。

で、更に諸々こなした後で、ついにラスボス倒しに行くやで〜と最終局面になる訳だけれど、ラスボスとの戦闘あたりどうもクライヴ君が論破気味というか説教くさいというのか。アルテマというのもだいぶ陳腐な存在に思えてしまった。

神というより少し性能の良い宇宙人くらいの存在なのだと。いや、意図してそんなもんだというメッセージなのかもしれない。


FF16はクリスタルの加護を断ち切る話である。FFという作品上クリスタルは世界を守ったり形成する役割だったのに対し、今回はクリスタルが神のエゴとして作られたものであり、人類がこの神への依存を乗り越えんとする話な訳で。

ここ十数年の世界情勢的にも震災や近隣国の戦争など、天災も人災もネットを通して嫌という程目の当たりにし、このインターネット時代、実際の悲惨な現場や献身的な活動というのが生々しい程に、良くも悪くも個人レベルで伝わってしまう。

神に祈ったところでどうしようもない無力感を、当事者なり第三者なり絶望的な環境を経験した訳だが、こんな状況や辛い心情でも「動ける」人間が何より強く、有事における人類の答えはそれでも生きていかなければならないという事だ。

と、こんな話はFF14でも散々語られてる事でもあり、自分が偉そうに述べるものでは無いのだけれど、

こういう神叩きって西洋圏でも大丈夫なんだなと思ったのだ。

現代に生きていると、熱心な信仰心というのは特に日本は感じにくい環境にある。慣習として根付いているから意識しづらいとも言われ、たまにカルト的な話を聞けば、宗教というもの自体をきな臭いものとして捉えていることも少なくない。

自分自身、ウン千前年も前に作られた宗教が最早現代では機能していないという説には一票投じており、少なくとも生活を侵害するようでは元も子もないよねという感覚だ。
あらゆる形の創作の材料として消費されている現在、神殺しもさほど珍しくはないと言えばそうか。

なんというかこういう神主体依存というか盲信するなというか、愚かしいのであれば生活に染み付いた既存の価値観でも壊すべきだ、という感覚は欧米やヨーロッパでも割と通じるのだなと。
今回ゲーム自体は大手海外レビュースコアで100点を付けた所もあるし、兼ね好評らしい。

なのでこういった絶対神に対するアベンジな話、大丈夫なんだなと思った迄で。
禅だ、東洋思想だと持て囃されるように、思考の柔軟性を求めるそうした世界の変遷ゆえかもしれない。

勿論基本的に害のないキリスト教等を叩いている話では無いし、扇動はあったかもしれないけれどゲーム内でアルテマ自体が信仰されている訳でも無い、ゲームはあくまで創作物で別物、全然関係は無い。

散々神や宗教で例えてしまったが、石油消滅と考えた方が理解に近かっただろうか。


……話が脱線してきたが何が言いたいかといえば、
神といった存在や国だとか地域、上司、教師、親、抗い難い対象は色々あるだろう。
しかしそういった上層部が机上の空論ばかり並べ立てて「動かねえ」時、余計な事しかしねえと感じた時の失望感もない。

おカミがなんだ、お前しか得しない空論ばかり並べ立てたか知らんが、汗水垂らして今を生きてる俺たちを掻き乱すんじゃねえー!
という鬱憤の右ストレートな体現、それがこのラスボス戦に通じる説教感だったのかもしれない。

こういった価値観の提示をスクエニのビッグタイトルが残した事に、時代を感じて奮い立った。


ゲームの操作や体感

転生の炎やギガフレアのようなアビリティが打てる度にうおー気持ちええーっとなり気に入っている。
しかしアクションのテンポ良さを求めたら、すぐ打てるアビリティをもっと組み込んだ方が良いのだろうか。あまり研究出来ていない。

アクセサリーも経験値、ギル、APUPを選んでしまう所が貧乏臭いが、2週目からでないと付け替えてみようという余裕が生まれなかった。

プレイ人口を広げる仕様といわれる体感、割とテキトーにボタンガチャガチャしているだけで出来てしまうのは、個人的には少し物足りなく。
アクセサリー選びの工夫もだけれど、ポーションなしとか自主的な縛りを試したり、ノーダメ攻略はきついくらいには下手くそなのでそこは楽しく。
単体強攻撃と範囲と1つずつ3セット登録しているが、FF14のようなホールド式ボタンが使えるなら両手全部使いたくなる。

昨今のアクションゲーやFF14脳なせいもあるかもしれないが、もっと戦略的な事を考えたいという欲がどこか沸く。
読み物としてのFF、コマンドバトルで頭使っていた感覚がまだ残っているからかもしれない。

そして自分の浅ましい願望としてはもう3倍サイドクエストに浸りたかった


終わりに

FFを追い続けてしまうのが不思議だ。

世代間によりFFの印象や影響を受けたものは変わるのだろう。
FF10頃から影響を受けた身からすると、映像の綺麗さという印象が強く、日本においての現代技術の見せしめゲーという印象を何処か持ってしまっている。

しかしいつまでも日本が先進を切っているという時代ではとうに無い。ゲームが売れるかどうかは海外に依存するし、近年のアジア圏におけるゲーム産業の発達も目紛るしい。プレステのソニーも実質外資系だ。海外海外海外…。
映像が綺麗というアプローチは最早古く当然のものとなり、今となると分かりやすくビジュアル、アート寄りな方向に昇華出来ているかという面が際立っているように思う。


子供の頃なーんも考えずに遊べていたゲームも、大人になってしまうと思い出補正や過去に面白かったゲームなどが積み重なって、段々と食指が動きにくくなってしまう。
あらゆる創作物すら見たくない時もある。気持ちに余裕が持てない時など、大人になれば数えきれない程遭遇する。

また実況文化のような他人のプレイを「やってるなあ」と観覧するのも、悪くないと思っている。
人が楽しんでいる所を見れば幸せを感じられるし、苦行だと思うものも側から見ている分には面白い。

しかしやってないゲームの「自分でやれば良かった」後悔みたいなものは、やはり生じる。
個人的には読み物系は特にそう強く、デトロイトビカムヒューマンを見た時にそうやらかしたと思った。
日頃サーチしておかないと、体験という機会までありつけない。

なので今回FF16をしっかり自分の手でプレイできた事は、嬉しかったし贅沢な時間を過ごせた。
良くも悪くもつらつら書いてしまったが、本当に楽しかったのだ。


直前放送時に吉田Pが言っていた「頑張るのは当たり前です」という言葉には何故か元気を貰った。私も頑張ろう。



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