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前半生を隠したイントレピッド

イギリス安全保障調整局(BSC)については、春名幹夫の名著『秘密のファイル』を読んでご存知の方もいらっしゃるだろう。「日本総領事館に007侵入」という項目ではイアン・フレミングの小説の一場面をウィリアム・S・スティーブンソンが種明かしたことが書かれている。

私はもともと007やスティーブンソンに関心があったわけでなく、他の関心からBSCを調べ始めた(その理由については今は明かさない)。そして見つけたのが、スティーブンソンと非常に似た姓名の作家が書いた『暗号名イントレピッド』だ。タイトルといい1976年という発表年といい、帯に書かれた「NHK総合テレビ放送!」という売り文句といい、これこそ決定版でないか?

この本に従って、スティーブンソンの生い立ちと、のちにCIAへと発展するアメリカ合衆国の戦略情報局(OSS)とBSCが協力するまでの流れを書き留める。

  • スティーブンソンは無線通信が子供のときから得意

  • 第一次世界大戦では飛行士

  • 退役後は会社経営

  • エニグマの暗号解読に関心

  • 対独経済圧力委員会のもとスウェーデンで破壊活動

  • 第二次世界大戦の勃発後は経済戦争省に関係

  • 合衆国の在英大使館員がドイツのスパイだったというタイラー・ケント事件により、外交公電の信頼性失墜

  • イギリスの秘密情報部と合衆国のFBIが直接に接触

  • ダンケルクからの撤退により、ブリテン島が占領される可能性

  • チャーチル首相の個人代表に任命され、ニューヨークのロックフェラーセンターに旅券検閲局のカバーでBSC設立

  • 第一次世界大戦以来の知り合いであるドノバンがローズベルト大統領の個人代表に

  • 占領地でドイツと戦うためにSOE(特殊作戦執行部)を支援

  • 英米が両バミューダは通信・暗号解読基地

  • キャンプXは工作員訓練施設

  • ドノバンは1941年7月にCOI長官に、のちにOSS長官に

決定版と思って手に取った『暗号名イントレピッド』だったが、私は違和感を抱いた。確かに序文はスティーブンソン自身によるものだ。しかし、本編の記述は概して観念的であやふやなのだ。エニグマ暗号機へのこだわりは分かったが、それはどういう意味をもつのだろう?

それでいて、功績はかなり粉飾されているように感じられる。ニールス・ボーアの亡命、フランスへの潜入、メキシコへの対策、そしてユーゴスラビアへの支援について、もしこれらが真実だとすれば、第二次世界大戦の歴史は大幅に書き直さなければならない。

『暗号名イントレピッド』より14年も前に、スティーブンソンの伝記が書かれていたことが分かった。タイトルは『3603号室』。これはスティーブンソンの旅券検閲局が入居していたロックフェラーセンターの部屋番号だ。『暗号名イントレピッド』に後を追って翌年に出た。話題に便乗したのだろう。『3603号室』は合衆国版で、イギリス版は『静かなるカナダ人』と別のタイトルだった。合衆国版にはBSC管理下のキャンプXで訓練された(とも言われる)イアン・フレミングによる序文が付けられた。007とBSCとの関係はリアルだ、と確信させる。

『3603号室』の著者はH・モンゴメリー・ハイドといい、実際にBSCでスティーブンソンの部下だった人物だ。イギリスの下院議員であった経験があり、信頼が置ける。実際、雲をつかむような話が多かった『暗号名イントレピッド』より、事実に基づく記述が多い。なぜ話題にならなかったのかというと、スティーブンソンが増刷を止めたからだ。情報漏洩を許せないイギリス当局と軋轢があったらしい。

以上、スティーブンソンの伝記について批判的に書いてきた。なぜ大胆に批判的に書けたか? 種明かしすれば、BSCの検証本である_The True Intrepid_を読んだからだ。こうした後出しは学術論文では許されない。痛快だ。

いやいや、本当に痛快なのは_The True Intrepid_の内容だ。

(以下、ネタバレ)

スティーブンソンは自らをスコットランド系と称していたが、本当はアイスランド系だった。同じ北欧人のニールス・ボーアやグレタ・ガルボとの関わりもうなずける。また、生年月日やその時に届けた名や学歴までいつわっていた。彼は中学高校に通わずに電報配達員をしていた。こうした粉飾が『暗号名イントレピッド』のあやふやな記述の原因だろう。第一次世界大戦後に彼が手掛けたビジネスについても、夜逃げ同然でカナダを離れただけでなく、軌道に乗り始めてからも特許関係で表沙汰にできないことがあったようだ。

_The True Intrepid_では、上で挙げた2冊の伝記の出版経緯も明かされている。スティーブンソンはライターたちの背中は押したが、内容はあくまで彼らの責任だというスタンスをとった。名誉欲か、誰かへの嫉妬か、あるいは諜報当局の関与か、定かでないが、彼本人は自らの功績を社会に伝えたかった。しかし、機密の漏洩は法に反するのでそこは書けない。このディレンマのギャップを埋めることを二人のライターに期待したのだ。

イギリスというと、家柄が幅を利かす階級社会というイメージがつきまとう。しかし、第二次世界大戦ではウィリアム・S・スティーブンソンという素性のしれない人間まで抜擢して独日を打倒した。そこに、危機の深刻さと勝利への決意が並々ならぬものだったことが感じとられる。

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