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ブレトンウッズ諸制度

経済秩序に関する戦後構想は、フランクリン・D・ローズベルトが演説した四つの自由のうち、欠乏からの自由が始まりである。欠乏というのは、何かが足りないことである。足りないのがモノであるとすれば、生産、交換、売買、あるいは贈与によって補うことで、欠乏から自由になる。

四つの自由演説から7か月後の1941年8月、ローズベルトとイギリスのウィンストン・チャーチル首相は大西洋憲章に合意した。その第4条は「すべての国家の貿易と原料へのアクセス」を謳った。これは自給自足に比べれば前進であった。しかし、取引の品目と量がどのように決まるのか、すなわち、市場メカニズムによるのか、計画によるのか、までは明記されていなかった。他方、第5条は、労働基準、経済発展、そして社会保障を向上するためにすべての国々が共同作業をすることに期待を示した。これはローズベルト政権が始めたニューディールと福祉国家の政策を世界に広めることである。市場か、計画か、の二分法で言えば、明らかに計画よりの発想である。

これらの提案がどういう結末にたどり着いたか、見届けることなく、ローズベルトは1945年4月に亡くなってしまった。チャーチルもその年の7月に下野することになる。その年の6月に署名された国連憲章に経済条項が入った。第55条aは「いっそう高い生活水準、完全雇用」を国連は促進しなければならない、と義務づけた。大西洋憲章第5条が発展したものである。

今回のテーマは、第二次世界大戦後の国際経済レジームを「覇権安定論」と「埋め込まれた自由主義」という二つの言葉を用いて論じなさい、である。覇権安定論については、大恐慌の苦難を味わったアメリカ合衆国は孤立主義から脱し、世界の指導者としての責任を受け入れる心の準備はできていた。問題は、具体的にどのような役割を果たしたか、にある。埋め込まれた自由主義については、戦後経済秩序が単純な自由主義とどこが違ったかを理解したい。

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