機能的国際機構
「人間というものは、なんらかの社会的紐帯ですでに結ばれている程度においてしか、平和の欲求をもたないものである」とエミール・デュルケムは言う[1]。個人をメンバーとするグローバル社会のきずなは家族ほどには緊密でない。人種や言語はさまざまである。国家をメンバーとする国際社会のきずなもそうである。国々はいまだに張り合い、戦っている。であるとすれば、国際連盟や国際連合の安全保障システムによっては平和を保つことはおぼつかない。
デュルケムは機能主義社会学の創始者である。機械的連帯と有機的連帯という言葉は社会学をかじった者は誰でも知っている。有機的連帯という社会的紐帯が国境を越えて広がれば、国際社会の凝集力は強まり、それゆえにより平和になるであろう。デュルケムが有機的連帯を解説した文章を引用する。
専門化によって、人々が足りないものを補い合えば、人々は自由なままで共存することができる。これにアダム・スミスの分業論を加味すれば、生産と消費の拡大も専門化によりもたらされる、といえる。
専門化や分業は基本的に個人や集団の自発的な努力による。国家の役割は、そうした活動への障害をなくすために、公共財を供給することである。公共財には国防、司法、公共事業、教育、保健、防災、基準、登録、地図、統計などが含まれる[3]。
ところが、専門化や分業が国境を越えると、単独の国家だけでは公共財を供給できない。そこで、国際協力が必要になる。国際協力のための機関を設立することは、この目的を効率的に実現することを可能にする。そうして設立されるのが機能的国際機構である。つまり、グローバル社会の専門化を助け、それゆえに連帯を強化する役割を担っているのが機能的国際機構である。
ということで、今回のテーマは、保健、教育・科学・文化、労働、原子力、電気通信、インターネットなど「機能主義的な」グローバルガバナンスのあり方について論じなさい、である。
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