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現実主義

第二次世界大戦へと至る歴史は、国際政治の「現実」を直視させた。戦争で頼りになるのは力であり、力を競い合うのは国家である。そして、勝つのは強いほうの国家である。ならば、強い国家を作るか、強い国家と組まなければ、負けてしまう。多くの人が、これこそ現実である、と考えた。

現実主義という言葉をこの分野において広めたのはエドワード・H・カーである。現実主義は「あったこと、と、あること、から、あるべきこと、を演繹する傾向」であり、「過去に根拠をおき、因果関係の見地で」議論する。それに対し、ユートピアニズムは「あるべきこと、に思いめぐらせて、あったこと、と、あること、を無視する傾向」である。それは「未来に目を向けて創造的な自発性の見地で考える」。カーにとって、ユートピアンたちが主張してきた自由貿易、仲裁、国際連盟、民主的統制、そして世論といったものはもはや時代遅れであった[1]。

ヒトラーがポーランドを攻めた。ちょうどその時、「政治はある意味でつねに力の政治である」とカーは書いた[2]。ユートピアンたちが支配した「危機の20年」のあとは現実主義の時代になる、と彼は言いたかったのであろう。この認識は第二次世界大戦後も支配し続けた。

ハンス・J・モーゲンソーという学者は『諸国民間の政治―力と平和を求める闘争』(邦訳『国際政治』)という教科書を著して、現実主義の泰斗として君臨した。同書から引用する。

国際政治は、あらゆる政治と同様、力を求める闘争である。国際政治の究極的な狙いが何であろうと、力はつねに当面の狙いである。政治家と人々は究極的には、自由、安全、繁栄、あるいは力そのものを求めるかもしれない。彼らは目標を宗教的、哲学的、経済的、あるいは社会的な理想の見地で定義するかもしれない。彼らは、この理想を自らの内面的な強さ、神の介入、あるいは人間社会の自然の成り行きをつうじて結実させることを望むかもしれない。彼らはまた、他国や国際機構との技術的な協力といった非政治的な手段をつうじてその実現を進めようとするかもしれない。しかし、国際政治の手段によって目標の実現を得ようとする時はいつでも、彼らは力を得ようとすることによってそれをするのである[3]。

つまり、力があれば自由も、安全も、繁栄も、何でも手に入る。それゆえ、力を得ることこそ、最優先されなければならない、とモーゲンソーは説く。ここから、「力の見地で定義された利益の概念」という名文句が導き出される[4]。これは個人に喩えると分かりやすい。快楽、金銭、自由のようなものは、社長のような権力者になれば、すべてついてくる。それゆえに、出世競争はつねに熾烈である。国家も、他国を押しのけて頂点を目指す。

今回のテーマは、現代日本をめぐる国際情勢を力(パワー、権力)の観点から論じなさい、である。これは理論を日本に当てはめる応用問題である。以下で、力に関する基本用語を解説するので、それらを踏まえて答えられるようにしてもらいたい。

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