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価値観は合ってる

価値観は合っていると言えるな、そういえば、とふと思った。

世界中の誰よりも一番嫌いに思う時や、この人の好きなところがいっこも見いだせない、と思うことなんかも多々あるけれどw

趣味も興味も関心も嗜好も、ことごとく違っていて、一緒に何かをするなんて所詮ムリ、ただただ単に同じ屋根の下で暮らしているだけの同居人。地上のソウルメイトを彼に期待するのが所詮間違いだった、とあきらめの境地でそれぞれに別々の方向を向いてお互いに干渉せず、互いに侵略しないでいれば暮らしはなりたつ。

だけど考えてみたら、嫌いなことについては一緒かもしれない。

こういうことは嫌い。その部分が合っているから、互いに相手を侵食せずに済んでいる。それは前から思っていた。好きな物が一緒じゃなくても、嫌いな物が一緒であれば、一緒に生活していくことはできるのだ。若いときには気づきにくいけれども。

そしてもう一つ共通点に気づいたのはふとした偶然。

いつだって、今だって、私は子どものために必要なら、今の生活をなげうっても構わない。それでも構わないように細心の注意を払って生きてきた。一緒に暮らしている伴侶と、娘のことで意見が対立したときに、相手に気遣って娘に我慢を強いるようなそんな事態を想定したときに、私は迷わず伴侶を捨てて、娘をとる。あなたはその覚悟なく迷っているの?と心の中で、婿さんの母親に(私も婿母も、ともに再婚なのだ)問いかけたときに、気づいた。そういえば彼も、もしも私と自分の身内が利害相反したら、間違いなく私を切るだろうな。薄々感じていたその思いは確信に近いものがあって、その事実に一抹の寂しさは感じるものの、それが当たり前だよな、と思う、そのこと自体が皮肉なことに、価値観の合致なのだ。

昔々、子育て中の頃。彼が冗談交じりで「息子とオレと、どっちが大事なのさ~?」と発言したことがあった。答えは分かっているから、あくまでも冗談で言っていると分かる口調でだけど、その問いに「コンマ1秒も迷うヒマなく、答えは決まっとるわ!」と思ったのを鮮明に覚えている。「優先順位は子どもが一番。その次が親。悪いけれど、あなたは3番目。その順位は変わらない」という私に「そんなことは当たり前だと思っている。ただ、子どもは育っていくものだし、手がかからなくなってオレのことを優先的に考えられる時が来るまで、俺は待つから。それまでは3番目でも構わないから」と理想的な言葉をくれたあの日の彼を、私は一生忘れないw。当の本人は、そんなこといった覚えもないと、同じ人物とは思えない変容ぶりが腹立たしいが。

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