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silentと手話の話

silentを追っかけで見ています。

手話と私

なぜか私の保育園は、園の歌を手話付きで歌っていました。
(公立の保育園なので、誰が始めたのか、、、)
だから歌に出てくる単語単語でとても断片的に手話を知っています。
そしてこれもなぜだかわからないのですが、年中の時の先生は曜日の手話をそれぞれ教えてくれて、「月曜日も元気にえいえいおー」と言いながら月の形を指で作っていたのを覚えいています。

あとは小学校の時に障がいの勉強をする時間があり、その時に聴覚障がいのグループだったり、母がなぜか手話サークルに入っていて、そこに連れて行ってもらったりして、、、
なんだかんだと、ルー大柴の英語並みの手話力です。

そこでいつもドキドキしているのが、ルー大柴みたいにところどころに手話をちりばめられて話しかけられるのって、聴覚障がい者にとってうっとうしいんでしょうか。
それとも会話の補助になって普通よりは楽なのか、、、
いつもよくわからないなあと思いながら、耳の聞こえづらい人と話していると、ついつい体が動いてしまいます。

silentを見ていて感じた関西と関東と

そんな私の小さな疑問は置いておいて、silentでは耳の聞こえる人と聞こえない人の恋模様が描かれています。
なんとなく思うのが、この2つに分けられる人たちが、関西人と関東人くらいの違いになればいいなと。
県人会があるように、性格が合うかどうかもわからない人たちとでも、やっぱり同じアイデンティティを持っている人って集まりたくなってしまうのではと思います。
私もやっぱり関西弁で話すとほっこりします。
でもだからと言って、関東の人と話すのが嫌というわけではなく、自分と違うなと思うくらい。お笑いの話ができないのは悲しいけど。
でも関西人と関東人だって結婚するし、国際結婚だってある。

使う言葉が違うだけ

だから、silentの2人を見ていると、耳が聞こえる聞こえない関係ないやん!!ええやん付き合おうや!!と思ってしまいます。
そして、自分たちが1歩踏み出さない限り、世界にある壁は変わらない。

自分とは違う人であることには変わらないけど、なんか言葉が違うなと思うくらいの、言葉が違うからと壁を張るのではなく、純粋にその人、その人、と関わっていける自分に、世の中に、と思う限りです。


ちなみに、手話にも関西弁、関東弁があるんですよ!!



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