ペルーでの日々の記録

6月5日、感動の日

任地43日目。水曜日。

導入「感動の径」

北海道の北の方、オホーツク海の近く(確か網走)に「感動の径」という名前の付いた短い道があります。

田園風景の中をスーッと車で通れるその道は、以前北海道を取材しに来た記者がその光景にほれぼれし、命名したとのこと。

私もその道は大好きで、すごく小さなエリアの短い道なのですが、ずっと車を停めて眺めていたい、そんな田園風景。

地元の人にとっては当たり前のその風景は、他から来た人間にとって感動に値するほどの素敵な場所でした。日本に帰ったらまた行きたいです。


前置きは以上、今日は感動の径ならぬ「感動の日」について。笑

実は、今日はスペイン語で「Día Mundial Del Medio Ambiente」といい世界的に認められた世界環境の日。

そんな環境の日を背景に行われた私の任地での環境イベント、そしてそのあとの友人との時間、それらを経て私の心は今日一日で大きく動かされました。

辛かったり悲しかったり嬉しかったり幸せだったりショックだったり。

しかも泣かないレベルに涙腺が緩む程度には感動していて、いろんな感情の動いた今日という日を私は自分で勝手に「感動の日」と命名しました笑


残念だったはなし

6月5日の今日は環境の日のため、環境のイベントがありました。今週はずっと環境のイベントがあって、子供や大人を巻き込んで様々なイベントを環境保全課の同僚が企画して運営していました。私もそれを手伝っていました。

ただ今週ずっと気になっていたのが、「参加してくれてありがとうギフト」をみんなに渡していて、それがいつもビニール袋に小分けされていたりプラスチックのコップを配って配給されるんですよね。

今日もちょっとした副菜がプラスチックの容器にのってプラスチックのフォークを付けてプラスチックのコップとともに配給されていました。

正直その光景はとても残念で、環境イベントのそばからこんなにたくさんのプラスチックが使われてゴミとなる。その矛盾にただただ開いた口がふさがらなかったです。

ある女性が私のもとにきて、こんなにたくさんのプラスチック使うのはね、、次は紙とか他のもので代用してもっと減らせるようにね!!と伝えてきました。

本当にそうだよね、と思いながらそれを私の口から伝えたほうがいいのかめちゃくちゃ悩んだ挙句手が空いていたほかの同僚に伝えようとするも、他で忙しかったのかスルーされ伝えるのを辞めました。

辛かったはなし

同僚はずっと前から企画していたイベントを運営していて、準備をしていたりする様子がとてもウキウキしているように見えて、きっと彼は本当に悪気とかはなくてただ「環境の意識を付けるためにイベントを企画しよう!」そして「来てくれた人にはちょっとしたお土産を付けよう!」と純粋に考えたことだと思うのですが、。

だからこそその現実は辛くて、こんなに準備とかがんばって運営もして心ばかりのお土産を準備しただけなのに、それが結果的にたくさんのごみを生んでいること、そのギャップ。彼が嬉しそうに準備する様子をみればみるほど、それが辛かった。間違ってはいない、悪いことしているわけでもない。しかも彼がプラスチックを用意したのではなくて、副菜やジュースを作ったレストラン側が準備していた。ただ全体としてもう少し環境に配慮したやり方があったんじゃないかな、と思ってしまう。

悲しかったはなし

そしてそのお土産はりんごやみかんの果物、そして飲み物など。パレードに使う風船なども子供たちはもらえてうれしそうでした。

でもとても悲しかったのはその配給されたもののごみがイベント終了後に広場に散乱していたこと。みかんのごみ、りんごの芯、ビニール袋、プラスチックコップ、風船のかけら。

その散乱している様子は環境イベントのあとに起きている。その事実が悲しい。誰が何を学んで誰に何を伝えたくてこのイベントを企画運営するのか。ただパレードすれば環境美化の運動につながるわけじゃない、ただプレゼンを聞けば明日から行動が大きく変わるわけでもない。

今日のそのイベント後の広場の様子は、何を学んだ結果なのか。何を伝えた結果なのか。正直悲しかった。その光景を前にぼうぜんと数分間何もできなかった。

嬉しかったはなし

ただそれでも環境イベントのあとにその残骸が残ることが誰の何の学びになるのかを考えることさえ苦しくて、考える前にゴミを拾い始めました。

とにかく目に見える大きいごみだけは集めよう。もしそのままポイ捨てする人がいるならゴミ箱に捨ててもらおう。

そう思って身の回りにあるごみを、段ボールを移動させながら拾っていきました。

そうしたら周りの同僚やイベントを手伝ってくれた友だち、そして交通整備で駆り出されていた警察官も身の回りにあるゴミを一緒に拾ってくれてゴミ箱に入れてくれました。

まさかみんなも一緒に拾ってくれるとは思っていなかったし、私がした行動を見ていてくれたのかそれがとてもうれしかった。

「言葉よりも行動で気付いてもらった」というのが協力隊の先輩たちの達成した出来事として語られるのを聞いたことがある。自分の今日の小さな行いでなにも起きないとは思うけれど、みんなが一緒に拾ってくれたのは本当にうれしかったし、自分ができる行動はやっていこうと思った瞬間でした。

幸せだったはなし

そのイベントの後友人2人ともにご飯を軽く食べに行くことに。これは食べたことあるー?と質問して食べたことのない料理をごちそうしてくれました。

夕暮れ時にふとそんな感じでご飯を食べながら話をしていて、「ああ、幸せだな」と感じたこと。思えばここに来てからホストファミリーや上司、同僚には囲まれていたけれど、友達と呼べる友達はまだいなかった。

恋愛の話だったり好きなものの話だったり一緒におでかけする予定だったり、そういう話をする相手はいなかった。

だから仕事帰りに一緒にスプーンとフォークでペルーのご飯を食べて大した話もしないけど拙いスペイン語を使う私に話を振ってくれて、。

たまたま彼らは私と同じ26歳。ためなんです。同年の彼らと一緒にぼーっとご飯を食べている時間はとても幸せでした。ペルーにはいたくても原則2年しかいられない。彼らとも一緒に過ごせて2年なのです。

もっとたくさんの時間を彼らと共有したい。一緒に泣いたり笑ったりはしゃいだり感動したりしたい。信頼してもらって、一瞬でもいいからここの町の人になりたい。そうやって思いました。

感動したはなし

そんな感じで「幸せだわ~」と一人で感動している私をよそに友人がご飯代も払ってくれ、友人の3輪タクシーで家まで送ってくれました。

なんかそうやって一人の人間として大事にしてもらって日本人だからとかじゃなくて友達として大事にしてもらって、そういう行動ひとつひとつが本当にうれしくて感動しました。

日本でもご飯をおごられた後に家まで送ってくれるという経験はなかなかなかったのでなんかほっこりしました。

ここの町はいうてみんな近所でみんなどっかで家族がつながっているから、家に送りあったりとかもできるのかもしれないけれど、不慣れな私は勝手に感動。

だから今日という日を「感動の日」と名付けたい

少し心が動いたり悩んだりすることはあっても1日をとおして涙腺が緩くなるようなできごとにたくさん直面する機会は少ないです。

しかもその涙腺も悲しいとかだけではなくて嬉しかったり感動したりショックだったりと、ネガティブなこともポジティブなこともありました。

ここの町のとある一面をみたときに感動をしていたので、それくらいこの町を知れた1日ということにもなります。

そんな記念すべき日を個人的に感動の日と命名。

2年後はこの町の人になってたりして何もかも新鮮じゃなく感じるかもしれないけれど、2年前の私はこんなことに感動していたのかと振り返ったときに面白そうだからそうやってキーワードを付けてみました。

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青年海外協力隊のコミュニティ開発隊員。ペルー北部、マンゴー🥭とレモン🍋の大地での日々を書き綴ります。TwitterやInstagram、ブログ「VOICE!!!!」もやってます(https://ikuminoheya.com/)

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