決断をしました

2年間のペルー生活がはじまって4か月したとき、日本に住むおばあちゃんが亡くなりました。
帰国するか残るかの私にとっては大きな苦渋の決断、今日やっとできました。

いつかの自分のために、ここに記させてください。

※これは5日前に書いた記事です



母からその訃報が電話で入った時3秒でことの重大さに気が付いて泣きながら今から日本に帰る!と強く伝えた。祖母の息子である父に電話が渡り、帰ってこなくていいからと強く言い返された。

でもこれは父親に言われてやるものではなく私がどうしたいかが重要だ!とその夜と今日の朝までずっと考えていた。

昨日の夜は朝3時まで起きていた。その日の20時半に訃報を聞いて家族側にも情報が少ない中、お通夜がいつだの告別式がいつだのという情報を待っていた。そして私もWi-Fiが繋がらないなか、必死に携帯の電波のいいところまで行って航空券を調べた。その時点では確かに航空券があった。あとは自分がどう選択するだけかなと。

朝眠たい目をこすりながら配属先に行って、祖母が亡くなったから一時帰国をするかもしれないけれど大丈夫かの確認を取った。配属先は、こちらのことはなにも気にしなくていいからと言ってくれた。

ちょっと考えさせてといいながら、考えたり航空券を調べようとすると母方の叔父から急に連絡が入った。たくさんマイルもあるし私のために航空券買ってあげるから日時と連絡先を教えよと。言われるがまま教えた。でもまだ決めてないよ!といいながら。

暦の都合でお通夜と告別式が少し先になり、遠いペルーからでもぎりぎりお通夜に間に合う到着になるとのことだった。

JICA側にも連絡を取った。2親等まではJICAの手当ても入るし任国外旅行に該当しないのだが、おばあちゃんは3親等にあたるため、私事目的任国外旅行の範囲になる。私事目的任国外旅行は自分の目的のために自分のお金で年間20日以内だったら所定の海外に行けるという制度。これに該当するため期間も20日以内となる。

調整員からもすぐ連絡が入り、私事目的任国外旅行に該当するけれどそれでいいならJICA的には問題ないし決裁を待たずにすぐ航空券を取っていいとのこと。


これで外部環境は全部抑えた。あとは自分が決めるだけになった。


正直、その時まで帰らない理由がなかった。
帰りたいというのが一心で、久しぶりの日本は正直どうでもよくてただただ最後おばあちゃんを見送りたいというその気持ちしかなかった。



高齢で94歳でなくなった。最後の半年は施設に入っていた。施設に入ってからは会いに行くといつも泣いていて、とても寂しそうだった。少し距離がある私たちの家族は正直何もできていなかった。

それは孫の私も少し理解はしていて、伯母や伯父への負担もあるし仕方ないのはあるけれど施設に入るおばあちゃんを見るのはつらかった。

青年海外協力隊になるにあたって、決めたことがあった。出発まではできる限りおばあちゃんに会いに行こう。現地からは手紙を送って元気なのを報告しようと。

でも出国から4か月、まだ手紙を送れていなかった。まさかこんなに早いタイミングで何かあるかとは思っていなかったのだ。一時帰国についても考えたことはなかった。万一危篤になったら真っ先に帰ろうと思っていたけれど、突然の死が来るとは思っていなかった。

私が帰るときには96歳になる予定だったけれどこれまで大きい病気をしていなかったし、おばあちゃんは最近は寂しそうだったけれどそれまでは健康で元気だった。勝手に自分でおばあちゃんは私が帰っても元気で過ごしていると考えていた。

そういうのもあって手紙が先送りになっていた感はあってその後悔もすごく大きくて。

手紙もそばに置いておけなかった。死に目に誰一人一緒にいてあげられなかった。寂しかったんじゃないかなって思えば思うほど日本に帰っておばあちゃんに直接会ってさよならを伝えたかった。亡骸だけれどおばあちゃんのことを思っている人間がここにもいるよって伝えたかった。おばあちゃんは決して寂しい思いをする必要はないのだと。
活動もこの1週間取り立てて予定入っていなかった。今ならだれにも迷惑をかけないだろうと。

活動スケジュールよし。航空券よし。配属先よし。JICAよし。さあ帰ろう、私はおばあちゃんに会うために帰りたい。

帰る理由はたくさんあったけれど、その時までは帰らない理由なんてないように思えた。



母にはまだどうするか決めていないという連絡をしたら父親から連絡が入った。

帰ってくるな。

とんぼ返りで体を壊したらおばあちゃんも悲しむから。

日本ならまだしもペルーは何があるかわからないから。

そういわれた。

でも日本に帰るわけだし、日本からペルーに行くのは食べ物とか体調とか治安とかあるけれどその逆だから問題なくない?と思ったしそれを言われただけだとピンとこなかった。
ただ実の息子の父がそんなにも止めるものだから、私もなかなか決断できないでいた。

何でそんなに止めるの?と聞いたら父は

「負担が大きすぎる」

と一言応えた。



あなたは何かを決断しようとするとき、どのように決断をしますか?


私は判断に迷ったときに、たまに思い出すことがある。

それは、「最悪の状況を考える」ということ。


これは会社員時代に上司に教えてもらったことだった。社会人になると仕事でも生活でも、重大な決断をしないといけないタイミングはいっぱい来るのだった。それは私の仕事でもたくさんあって、それが会社の命運を分けるといっても過言ではない判断もあった。

だからこそ上司が教えてくれたのだろう、その場合の最悪の状況は何か?と。

最悪な状況だけは避けられるように、それ以外がかすり傷ならそれを選択するのも手だと。


今回のケースの最悪の状況を考えてみた。


今回日本に帰るかここに残るかの判断における最悪な状況は、笑われるかもしれないけれど

「帰るという選択をしたときの私の道中で何かがあること」

だった。


飛行機に事故があるとか、強盗被害にあうとか何かがあってしまったら私の身に危害が及ぶ。そしてそれは日本にいる家族、亡くなったおばあちゃん、なにより父親にとって本意でないことだろうと。

そんなことなかなかない、道中で何かあるなんて考えていたら何もできない。そう考えるかもしれない。でも最悪の状況になりえる選択肢を取るという判断ができなかった。

万が一私に何かあったら、全てがひっくり返る。両親は、私の帰国を必死に止めなかったことを一生悔やむだろう。亡くなったおばあちゃんは死にきれないだろうと。そしてそれは私の本望なのだろうかと。

それがあって、残ることにした。

もちろん一番の理由はそれだけれど、背景には活動のこともあるし青年海外協力隊になるときにある程度の覚悟をしているというのもある。

また20日という限度がある中で、身内にこれ以上何かがないとも言えない。そういうのを置いといても自分の気持ちを優先しておばあちゃんに会いに行きたかった。

しかしそれは最悪な状況を考えたときに少しだけ冷静になれた。


よく考えればもし私が帰るとなったら父親は不安で仕方がないだろう。

もちろん日本に帰るための金銭的な負担もあるけれど、彼の「負担が大きすぎる」は私の身も心配してのことだ。

実の母の死があって、父親のことを私はもっと考えてあげるべきだったのかもしれない。もし私が帰るとなったら、父親は私の心配もしないといけない。

せっかくの母との最期の別れなのに私への心配で気が散ってしまうのは、それこそ私の望むところではない。


自分のことばかり考えて、帰らない理由なんてないなんて思っていたけれど、父親のこと、私が帰ることで動く大人たち、自分が思う以上に影響力があるんだと思った。



そういう経緯があって帰らないという選択をしました。


父に

「帰らないことにする」

と一言伝えると


「わかった。ありがとう。」

といわれました。


帰らないのにありがとうと言われるとは。これが大人の選択なのか、、?なんて。


今回これを読んだ人は、なんだ、青年海外協力隊にいって現地の人のために活動しているのに現地のことを顧みないのかと思うかもしれない。完全には否定しないけれど、少し否定させてほしい。

補足しておくと、今回一番に確認したのは自分の活動のスケジュールだった。もちろん約束がなくてもその場にいることが大切なこともあると思うけれど、約束等が何もなかったというのが自分の背中を押したのだった。

そして会社員になってわかったことがある。私にとっての幸せは仕事よりも大切な人を大切にすることだと。大切な人を大切にできない私が他の人と幸せを共有できると思えない。

今回はなによりも大切なおばあちゃんのそばにいたいというのもあってそうやって考えていました。


今回の選択、後悔しないとは限らない。

会えないとわかってなおさらもっと悲しいし、やっぱり会いたいという気持ちにいつだってなる。

だからせめて帰ったら、おばあちゃんの家を訪れてお墓参りに行こう。

毎年のお盆や時折でおばあちゃんを思おう。

私の心の中ではおばあちゃんはいつだって生きているし、今はまだ覚えているおばあちゃんの話し方や声をなるべく忘れないでいれたらいいな。

この時の判断を後悔しないものにする未来を歩んでいくまでです。


だから、私の協力隊生活はおばあちゃんへのお墓参りまでで実質終了する。
「帰るまでが遠足です」じゃないけどね。


判断したら少しだけすっきりしました。


いつかの自分が今日の決断を後悔することがあったなら、あのときの君はこういう判断をしたんだよってこのnoteが教えて癒してくれることを願います。

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