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人の死を消費し数字稼ぎをする記事を読んだ

実話とも創作とも触れていないところに狡猾さを感じた。

わたしは読んだ瞬間に、これは体験の伴っていない言葉だと思った。
もしもそれが誤解で、あの物語が事実だったとしても「読み物」に整えるために、書き手が見たい、そして魅せたい虚像に仕上げたようにしか感じられなかった。

脚本書きを仕事にしてる人間の視点で言わせてもらうと、「さながら」は小説的な表現で、生身の人間が使う話し言葉としては無理がある。
全世界を探せば、ひょっとしたら何人かは小説めいた口調で語る人もいるかもしれない。

でも、そんなキャラを作って初対面の人に接する人ですか?
本当に、あの時代にあの年齢のあの人が語った言葉ですか?

わたしには近年の振る舞いを投影させた架空の人物の言葉にしか思えなかった。
若きあの人が持ちうる言葉だったか疑問だ。

古くからのファンは同じように違和感を覚え、人物像を歪められたことに憤った。
わたしも同じだ。

それだけではない。
既に35年来のファンであるという文筆家が指摘していたけれど、『悪の華』をさも自分が教えたような場面がある。
書き手の虚栄があらわれている。
そこにわたしは嫌悪した。

今回の訃報で櫻井さんのことを知ったり、近年ファンになった人は信じてしまうだろう。

表層的に「ぽさ」を描き、読者の心を動かす文章を書く力はあるのかもしれない。
夢物語としてなら雰囲気も別に悪くない。
創作意欲を刺激される魅力溢れる存在であったことは事実だ。

ただ。なぜ今なのか。
思い出を分かちあいながら、櫻井さんの死をゆっくりと受け入れていこうとしているファンの心は見えなかったのだろうか。

幸いにわたしは作為にすぐ気づけたが、まだ悲しみの感情すら湧かないほどのショックの中で、心を弄ばれたことを知り傷ついた人も多いだろう。

“美しい物語”にするにしても、実在の人物の名を使うならば、ファンの目を騙せるくらいしっかり背景を辿って、インタビュー記事を読んで、動画を観て言葉を聞いて、丁寧に人物を掘り下げてキャラクターを落とし込んでから、セリフを書いて欲しい。

櫻井さんはね、本当にファンを愛した人だったんですよ。
人間そのものを愛した人だったんですよ。
人の心に敏感で、思いやりの心に溢れた繊細で優しい人だったんですよ。
言葉に対して誠実な人だったんですよ。

(ファンが見聞きできる情報だけでも、長年の活動からその人柄は周知されています)

もし、本当に追悼の気持ちがあるのならば、櫻井さんのように人の心を思いやれませんか。
言葉に誠実な姿勢を見せられませんか。
創作は創作と明記しませんか。

そのライターを知る人の告発では、虚言癖があるとも触れられていた。
妄想を現実と思い込み、虚飾の言葉を綴ったのかもしれない。
もしも病に苦しんでいたりするのだとしたら、しかるべき機関に相談して現実と妄想の区別がつけられるようになって欲しい。

ある意味では羨ましい。
櫻井さんをモチーフに、こんなに早く物語を書けるなんて。

わたしはまだ自分の感情の整理のためにただ吐き出すことしかできない。
体裁を整えた「読み物」は書けない。
櫻井さんの死と向き合うことさえ、怖い。


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