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【悲嘆のプロセスとは③】

悲嘆のプロセス12の段階の詳しい説明は①をご覧ください。

今回はその4~6段階目までを私自身に当てはめて振り返りたいと思います。

現在進行形で悲嘆に向き合っている方もいらっしゃるかと。自分だけが特別では無いのです。
どこかの誰かもこのような状態で苦しんでいるかも知れません。現に私は苦しみ抜きました。でも、絶対に光は見えてきますからね。

4段階 怒りと不当感(なんで私がこんな目に合わなきゃならないんだ)
死別が避けがたい事実であり、受け入れないといけないことなのだと理解していてもその事実に強い怒りを感じている。
↓ ↓ ↓ 私の捉え方
ここでの私の怒りは尋常では無かった。
死別の事実は受け入れていたものの、遺された私はこれからどうやって生きていくのか。私を一人遺し夫が逝ったことに対し、どこへぶつけたら良いか分からない怒りが心の奥底からフツフツと込み上げてきていました。
一人になってどうやって生活するのか、仕事は、お金は、一人には広すぎるこの家は。
そして、夫の親や兄弟や親族との関係は。お墓の世話や義父が他界した時の夫の取り分の遺産相続は。
と様々な事がACP(アドバンス・ケア・プランニング)が出来ていなかった事で夫亡き後、私に重くのしかかって来ました。
「何故私一人が、こんな思いをしなければならないのか」怒りが私の心を支配していたのです。
※ACPについては改めて詳しく綴りますね。


5段階 恨みや敵意
周囲の人や医療従事者に対して、やり場のない感情で相手に攻撃を向けてしまったりします。故人本人が原因だった場合はその怒りの矛先を強く故人に向ける場合もあります。
↓ ↓ ↓ 私の捉え方
医療従事者にはどの場面でも感謝の気持ちでいっぱいでした。それは何故そう思えたのか。精神誠意夫に対して治療を施して貰った事への満足感。そして余命宣告よりも延命出来た事や、延命期間があったからこそ私たち夫婦の思い出となることも沢山出来たこと。
このようなことから、恨みや敵意と言ったことは皆無でした。

しかし、私の気持ちは夫本人に向いていたのです。
何故ならば、長年体調が可笑しいと分かっていながら病院へ行くことを酷く拒み、病院で診察を受けた時には既に末期の状態だったこと。そして、夫が一日でも早く病院を受診してくれていれば、今私は一人でこのような状況にはなっていなかったはずだ!という気持ちが夫を恨む結果となってしまったのです。



6段階 罪意識(後悔の感情)
「生きているうちに色々としてあげられたのではないか」と、過去を思い出しては悔やんだり、自分が悪かったのではないかとやり場のない気持ちで自分を責めたりする(自責の念)。知らないうちにうつ病に移行していったり、自殺を考えたりしてしまう場合もある。
↓ ↓ ↓ 私の捉え方
後悔の感情という名の「自責の念」が私の場合は強かったと思います。それは今現在でも持っています。が、当初と自責の念の自分なりの処理方法が変化してきたと感じています。闘病期間、これ以上の看病は出来ないほど精神誠意、精一杯夫に向き合い日々を過ごしました。
しかし、それでももっとこうして上げた方が良かった。これも出来たのかも知れないけれど、やってあげられなかった。と後悔は次から次へと出てきます。先日も、ふと私がそんな事を長男とのlineに書くと「十分やってあげていたよ、あれ以上何が出来たの?」と客観的に見ていた彼の一言は私を救ってくれる一言でもありました。

どんなにやっても、それでも後悔は残りそれが自責の念となることは致し方がないことなのね。と、今は受け入れられるようになりました。死別から5年目になってようやく少しだけですけれど。

こうして振り返ると、悲嘆のプロセスの段階では一人一人強弱があるのではと感じます。私の夫を恋しく思うその気持ちは怒りや恨みとなり、自分自身を深く傷つける結果となり悲嘆を更に加速していったのだと振り返っています。

次回は7~9段階目について綴ろうと思います。


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