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土日は野球三昧

私の野球の記憶は、父と母の毎晩の巨人戦のテレビ観戦と、西武球場だった頃に野球につれて行ってもらったこと。

野球は退屈そのものだった。

ルールもわからなくて、見たいテレビも見られない。球場に行っても、人が小さくて何だかよくわからない。当時12歳くらいだったと思う。

そんな私が突如野球観戦に目覚め、野球が大好きになりました。

息子が野球を始めたのは小学校3年生の11月。
地元では強くて有名なチーム。
ほとんどの子は1、2年生頃から、ガチ野球お父さんと共にチームに入っていたところに、野球未経験の親というちょっとイレギュラーな感じでチームに入った。

これがよかった。息子は開花。
勝負ってなんだ、努力って何だ、当たり前のことを当たり前にするってなんだ、野球だけをやっていればいいという訳ではないと、たくさんのことをチームや仲間、お父さんコーチや監督から教えてもらったと息子は言っていたのが、何よりだった。

私は正直、この数年はしんどかった。

平日は仕事三昧。忙しくて子供と触れ合う時間がない。それでも土日は赤子を背負って朝から晩まで外にいなければならない。体もしんどく、とにかく土日は休みたかった。
父親は自分が野球人ではないこと、土日に比較的仕事が入ること(今考えれば、わざと入れていたんだなとわかる)を理由にほとんど来なかった。

下の弟はお腹にいたマイナス0歳から野球被害者の会に入会。赤子を背負ってのグランド通いは結構なものがあった。

それでも段々と息子たちの学年の子たちの試合や先輩の試合にはまっていった。
日に日に野球お母さんグッズが増えていく。
アウトドアチェアー、テント、テーブル、ミニ扇風機、ベンチコート、ネックウォーマー、ジャグにポッド・・・・。

野球は道具もだけど、お金がかかる。

遠征も高速代に、食事代、朝早く出発、夜遅く帰宅。数時間後には仕事に出発。
一週間の仕事、また土日の始まり・・・のループ。

死ぬかと思いました。

でもうちの学年はどの親も、自分の子だけでなく、誰がヒットを打っても、みんなで喜び合えるような、そんなチームになってきていたので、それはそれでありがたいし嬉しかった。

スポ少のお母さんたちとの付き合いは大変と聞いていたけれど、息子の学年の保護者は比較的弁えている方ばかりで、あくまでも主役は子供、そしてサポートに徹するために揉め事なども事前に回避するよう、努力していたと思う。(他の学年は絵に描いたように揉めていましたが)

だからこそやれた3年間。

息子のチームは全国にも行くような、そこそこ強かったチームだったので、練習も厳しかったけれど、平日も何かにとりつかれたように練習をしていたし、毎回の試合のプレッシャーも相当なものだった。毎回崖っぷちにいるような、一回の失敗で全て終わってしまうような、そんな週末。

1番、センター。

これが鉄板。

卒団した時には「もう野球はやり切った。別のことをやりたい。」と昔から好きだったことを、改めてやりたいと言い出した。正直、私もホッとしていた。

でも。

本人がやりたくないものをやらせられないけれど、でも内心もったいないな・・・と思っていた。応援していた祖父母や友達の親も同様で、何度か声をかけてくれていた。

息子は「やらない」の一点張りだった。

そんな息子の心を変えたのは、同じチームメイトだったピッチャーの子だった。
普段無口でハニカミやで、多くを語らない彼が夜遅くに、ラインをくれた。

「俺、もう一度お前と野球やりたいな」

そんなひと言に、心動かされたようだ。声がかかっていたチームで野球をやることになった。

「野球、やっぱり続けてよかった。」

現在の息子の一言。

正直、あまり結果が思うようには出せていない。
でも、大好きな先輩たちや、大事な仲間ができた。

同じ中学校の友達だけでない、人の大きなつながりができていて、また親や先生とは違う大人の方に叱ってもらったり、褒めてもらったりとたくさんの良い機会をもらっている。

親としてこんなありがたいことはない。

スポ少の頃とはまた親の役割は違う。
アナウンスもする。
ただ土日のプレッシャーはぐんと減った。
野球を楽しめている。
子供たちが一生懸命取り組む姿に、こちらが励まされている。
下の子は相変わらず被害者の会だけれど、「野球」が何となくわかってきていて、お兄ちゃんを応援している。

独特な世界だけれども、それでも面白いぜ、野球。

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