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点滴でシェイクン・ノット・スタード

 病院、というのは一種の小宇宙だ。そこでは、現実のルールが少し曲がっている。まるで長いトンネルを抜けた先にある、別の「何か」みたいなものだ。ただし、その「何か」はときどき驚くほど非論理的で、逆説的な展開を見せる。今回の我が家の事例がまさにそれである。

 入院、点滴、絶食、そして様子を見る。全部を網羅した結果、医者からの報告は「思っていたよりもひどい状態かもしれない」だって。ちょっと待てよ。これまで「おむつかぶれだから大丈夫」とか、「軽傷なアレルギーだから様子見でいい」と言っていたのは、同じ医者じゃないか。突然の転調に、僕の怒りはカフェインが効いたように高まる。これがサスペンス小説だったら、登場人物が突然「実は僕、宇宙人なんです」って言い出すレベルの急展開だ。

 とはいえ、怒りの矛先は医者だけど、窓口は妻。僕がどれだけ怒っても、その怒りは妻を通して医者に届くわけで、多分、その途中で色褪せる。通訳の過程でどれだけの情報が失われるか、僕が英語の文章を日本語に訳すときと同じだ。ポイントは伝わらない。

 医者から次に提案されたのは「もっと高度な点滴と長期の絶食」。そう、この高度な点滴は心臓に近いところに施すらしい。要するに、医者は僕たちに対してジェームズ・ボンド映画のようなリスキーなスタントを提案しているのだ。

 妻と緊急の電話会議を開いた。この病院、特にこの医者は信用できないのではないか。簡単に結論は出ない。でも病気は待ってくれない。進行中のクライムノベルを読んでいるような緊迫感だ。我々は病院に対して、もっと説明をしてもらうように求めた。

 怒りも、疑念も、すべてはこの病院の小宇宙で起こった出来事。でも、この出来事を通して、僕たちは多くを学んだ。そして何より、僕たちの家族のストーリーはまだまだ続く。この先何が待ち受けているかはわからない。でも、それが僕たちのストーリー。何があっても、読み進めるしかないんだ。

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