種のもっと前の話③おやじ編後編

地元のド田舎中学校から、高校は県庁所在地である街の商業高校に通います。実はいまこれを書きながら発覚しました。自宅からどうやって通っていたのか、駅まで歩きだったのか自転車だったのか、よく聞いたことがありません。

高校の入学試験の時、風邪を引いたらしく、鼻水たらたらで受けたらしいです。試験監督に「ティッシュを使うことを許可いただけないか」の伺いもしないまま。一言聞いてたら違っていたでしょうに、「勝手にティッシュを使うと怪しまれるから」と鼻水を吸い込みながらなんとか受けたことは聞いております。

農業だけはやらないと決めた、「我が家の長男」、今思うと、じいさんも最終的には納得していたことになります。「うちの仕事(農業)は誰がやるんじゃ?!」ということにならなかった、わけです。しかし私はこれまで3度(高校、大学、就職してから1年目での転職)親父の思い一つで「自分の思う道」に行けませんでした。それを考えると「じいさん、すごいじゃん!」と思うわけです。

結局、役所はだめで、銀行にいくことになった親父。若いうちから地方を転々とします。結婚前には県庁所在地の繁華街内にある支店に移動。そこでお見合いが成立し、めでたくゴールインとなります。

とてもプライドの高い親父。幼少のころに中耳炎をおこし、治療のために開けた鼓膜の穴、なのか、鼻をかみ過ぎて圧をかけてしまったが故の破裂か、よくわかりませんが、風邪をひくたびに、大人になっても「耳垂れ」を起こしていたとのこと。それを誰にも、親にも、我が妻にも弱音を吐くことなく50代まで引っ張ります。

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