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明日(5月15日)は葵祭じゃないですか!

明日、5月15日は葵祭(賀茂の祭)があります。
古文の先生が「『祭』は賀茂の祭、『山』は比叡山」とか言ってたような気がしますよね。
…全然覚えてない?やっぱり?🙇‍♀️
元国語教員としては反省しきりでございます🙇

「賀茂の祭」が「葵祭」と呼ばれるようになったのは江戸時代から。御簾や冠、牛車などなど何から何まで葵の葉で飾るようになって、「葵祭」と呼ぶようになったとか。

一応国語の教師としましては、一度は行きたい祭ではありましたが、なんせ葵祭は5月15日と決まっています。
週末に行われる年は少ないし、人混みに入ってまで見に行く元気もないしで、ながらく行ったことがありませんでした。
けれども昨年初めて見に行くことができました。行列のゴールである上賀茂神社で有料席を確保してゆっくり見学できました。

さて、現代では毎年5月15日に行われている祭は、葵祭のハイライト「路頭の儀」が行われる祭のこと。
前儀として「賀茂競馬(かもくらべうま)」「鏑流馬(やぶさめ)神事」「斎王代御禊(さいおうだいぎょけい)の儀」なども行われています。

*ちなみに、平安時代の斎王は内親王から出されていました。
伊勢神宮の斎王を「斎宮」、賀茂神社の斎王を「斎院」といいます。現代では「斎王」の風習はありませんが、葵祭の時に斎王の役(斎王代)をする人が民間から選ばれています。


葵祭といえば『源氏物語』の「車争ひ」を思い起こす方が多いかもしれません。

「車争ひ」は「葵」の巻に出てくるお話です。ざっくり説明するとー

光源氏の愛人である六条御息所は、御禊の行列に参加する源氏の姿を見ようと牛車で沿道にきていた。
そこに、遅れて光源氏の正妻・葵の上の牛車がやってくる。
葵の上の従者に、六条御息所の牛車は強引に立ち退かせられてしまう。
六条御息所は大衆の面前で辱めをうけ、惨めな思いを抱く。
(そのことに恨みを持った六条御息所は生霊となり、葵上を苦しめる)

私は、「車争ひ」は葵祭のハイライトである「路頭の儀」が行われた日の話だと思い込んでいたのですが少し違うようです。

前儀である「齋院御禊(ぎょけい)の儀」が行われた日のことでした。
物語では、「女三宮が新斎院になるというので例年よりも盛大に執り行われた」という設定になっています。

今年の御禊の儀は5月4日に下賀茂神社の「御手洗川」で行われました。

上賀茂神社の「ならの小川」と下賀茂神社の「御手洗川」とで1年交代で行われているそうですが、古くは鴨川のほとりで行われていたのだそうです。

ちなみに『源氏物語』では、光源氏が幼い若紫(後の紫の上)と「路頭の儀」を見物する場面も出てきます。

明日は葵祭のクライマックス。
外国からの観光客の方も多そうだし、『光る君へ』効果もありそうだし、京都は大層にぎわいそうですね。



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