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【引っ越しを決め、引っ越す】〜息子、学校へ行けなくなって#007〜

学校へ行かれなくなったお子さんを持つ、保護者の方や、当事者の方々と、
この間、出会い、いろいろとお話しをする中、

「引っ越し、うちもしたよ〜」とか、
「都会から離れて、山奥の方まで行ったわぁ〜 笑笑」

という方などもいたりして、
みんながみんなではないし、多くはないのだろうけれど、
「なくはない」「まぁ、こういうこと、あるよね・・・」
の話なのかもなぁと、思ったりします。

私は、引っ越しした回数を気にしてきませんでしたが、
(数えてこなかったのか、忘れたのか・・・??)
書くにあたり、改めて、うちは何回引っ越したんだろう、と数を数えたら、

1回でもなく、2回、あ、いやいや、まだあった・・・
そうかぁ、結構してきたなぁ・・・(遠い目。)

まぁ、数はさておき、(何回なんだ、って感じですが)
片手では数えられる数の引っ越しを、この5年間でしてきました。
息子は在籍していた小学校も、その都度、変わったりしました。

ここでは、その最初の1回目の引越し、息子が2年生、秋のこと、

【引っ越しを決め、引っ越す】 です。 しばしお付き合いくださいませ。


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家の周りは、同じ学校の子どもたちがけっこう住んでいて、
よく外でも一緒に遊んでいました。そのことは息子にとって良い環境でしたが、
一変しました。

お友だちに見つからないように隠れるように過ごし、「家にいる」だけで、
だんだん不安が大きくなり、家を飛び出すようになっていきました。


ここにはもう住めないのかもしれない・・・。
引っ越しで何か状況が変わるかもしれない、引っ越しで気持ちを変えよう・・・。
やってみないとわからないし、今できることはそれしかない・・・。


引っ越すことで、どうにかなるかは全くわからないけれど、
こうして、家を探し始め、息子が一年くらい前にノートに書いていた、
「こんな家に住みたい」を参考しにして、家を決めました。


引っ越しするにあたり、
放課後の居場所はどうする、
学童は空いているか、
仕事で誰もいなかった時のサポートはどうするか、
(今思うと、この時はまだ、もしかしたら学校へ行けるかもしれない、という思いがあったんだな、と思います。)
役所や学校に電話したりしました。

また、転校する学校から転入する学校へ伝えること、
食物アレルギーがあり、エピペン(※)を常にカバンに入れていること、
そして何より、
息子の今のこの状況を知って、理解してもらう必要がありました。

直接行って、会って話をしたり相談したりする日々が続きました。
この時は、小学校でフルタイムで働いていましたが、
自分の仕事の休憩時間は、いつも校舎の外で、電話をしていました。


私はこの年、自分にとっては、
初めての「音楽専科担当」になった年でもありました。
やってみたい!と思っていた、念願の「小学校の音楽の先生」。
やったー!ついにきた!という年でした。

3年生〜6年生までの、10クラスの音楽を担当していました。
そんな中、このような状況になり、残りわずかとなっていく年休を数えながら、
やりくりしていました。

⦅ ※エピペン(アナフィラキシー補助治療剤 - アドレナリン自己注射薬エピペン®注射液)・・・医師の治療を受けるまでの間、アナフィラキシー症状の進行を一時的に緩和し、ショックを防ぐための補助治療剤です。⦆


引っ越しは、
息子、小学2年生の2学期が始まり、学校へ行けなくなって1ヶ月ちょっと、
8歳の誕生日を迎えた月でした。
私は、勤務する小学校の学芸会の、1週間前の土曜日でした。
引っ越しが、こんな時期になるとは、思ってもみませんでした。


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相変わらず、こちらには些細に見えるようなことで、
怒ったりする状態も続いていました。
また、外で自転車に乗っていた時のこと。
学校帰りの子どもを見かけると、足がガクガクして、うまく自転車がこげなくなる、ということもありました。

気持ちで、こんなにも身体が反応してしまう。
頭で思ったように身体が動いてくれない、そんな状態になっていました。

「オレの身体はどうしちゃったんだろう・・・。」

こう、つぶやいたこともありました。


長くなりましたので、今回はここまでにしますね。

こんな日々を過ごす中で、少しずつわかってきたこともありました。
次回はこのことを。

次回、【息子の「つまんない」の言葉は、「怖い、不安だ」】


今日もお読みいただき、ありがとうございます。


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