Well-Beingを本当に必要としているのは自らの陰と陽の間で揺れる人

私が心の豊かさをテーマに生きて行こうと決めるまでの背景を今書いているが、後半に行く前に最近よく見かける『ウェルビーイング』という言葉についての少し小休憩を。

ウェルビーイングとは
Well-Beingで、直訳すると「Well=良い」「Being=状態」であること。

ウェルビーイングという言葉自体は、1946年のWHO設立時に創設者の一人のスーミン・スーが定義づけしたものにでてくる。

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいいます。

(日本WHO協会:訳)

個人的な解釈でいえば、個人としての私としても社会の中の私としてもともに幸福であり、長期的に心身ともに満たされている状態であること。
なのかな、と思っている。


で、最近はウェルビーイングという言葉をよく聞くが、だいたいそういう媒体を覗き見するとヨガや環境にやさしい / エコ / サスティナブル / SDGS、セルフケアメディアとかいうものが多い気がしている。

何が言いたいかというと、上記ももちろんそうなんだけど、
なんかもっと陰と陽を兼ね備えた、うちに籠るタイプの個人の豊かさにもフューチャーしてもいいのでは?とも思っている。

今社会に広がっている『ウェルビーイング』は、どこかビジネス的で、
もちろん『心身共に』『環境にもよく』『健康的』であることに越したことはないんだけど、そもそもそこの塩梅が上手に取れている人は既に自分で豊かさをコントロールできている人だと思っていて。

ヨガやサーフィン、積極的にマイ〇〇をもっていたり、美容に関心があったりなんだかキラキラしている対象の『ウェルビーイング』を発信する企業やメディアが多い一方、マインド的に難しい人もいるのではないかな。

実際の「豊かさ / ウェルビーイング」みたいなものはもっと複雑で、そもそも個人の性格上家の方が好きだけど特に家を居心地良くできていなかったり、集団でいるより1人でいる方がチャージができるけど刺激がほしいひとだったり、その人個人の置かれている環境や状況/性格によっても違うし、わたしからわたしたちへ意識を向ける『ウェルビーイング』の中でも、「私の豊かさ」の部分で既に引っかかっている場合もあるだろう。

特に完全に自分だけの世界で自分を見つめるだけでいい人と、
外の世界と繋がることで自分を見つめることができる人がいる一方で、
きっとその狭間の、人といることで気分が上がるけど、1人の時間も大切にしたいみたいな、個人と集団の中で揺れる人はそこのバランスがうまく取れず悩んでいることも多いのではないかと。

あとは完全趣味の媒体はあると思うが、
ナチュラルに文化的に、でもマニアックにならない / 表面上だけでもない余白のある媒体やサービスってあまりない気がしている。「コレ環境に良いよ!」「ヨガすると心身が整うよ!」ね、ウェルビーイングでしょ!みたいな一方的な情報発信はするけど、個人の豊かさ的な部分ってそれこそちょっとずつ微差があって。その一方的な情報発信に豊かさを感じる人って、どのくらいいるのだろうとおもってしまう。

人間的なもっと深い部分の豊かさを求めていて、ネガとポジの間で揺れる人の心の豊かさは、なかなか生みづらいのかなとおもう反面、『ウェルビーイング』という概念をいわゆる陽キャのものだけにしてはいけないと思う。

私は自身がどちらにも属せないタイプなので
曖昧な部分に宿る個人の豊かさ、
余白のある個人と余白のある集団の在り方を模索していきたい。

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