固定的マインドセットを成長的マインドセットに変換するための第一歩

最近気持ちに余裕がなくなってくると、
他人が何気なく発した言葉が自分を批判する言葉に聞こえるようになった。

その人の発言が頭の中をぐるぐるぐるぐるとかけめぐり、
「お前は何もできないからいても迷惑なだけ」
「お前のこと嫌いだし、誰も尊敬してないよ」
な〜んて誰かの声が聞こえて。

そんな自分を少しでも慰めようとしてか
今まで好きだったその人を少し嫌いになって、(嫌いな人に嫌われても的な、、)
そんな低俗な考え方をする自分に「自分ができないからなのに」「人を嫌いになる資格なんてない」「そもそもそのひとのこと私は好きだよね?嫌われたと自分が思っているからって嫌おうとするなんて頭悪すぎ」とまた嫌気がさして、消えたくなった。

今思うと、防衛本能なんだろうなと思うけど。

そんなとき、ふと《社会とつながっている実感により感じる幸せ》と
《社会の中で生きることによるしんどさ(他者と比較する・他者の評価を気にするなど)》って表裏一体だなと思った。

社会の中で生きることは変わらないのに、なぜ幸せと不幸せが混同するのか。どういうときに人とつながって幸せと感じ、どういうときに人といることが窮屈と感じるのか。

悶々と考えているなか、yoiという私が大好きな集英社のwebメディアの記事の中で
「『社会の中で良いとされている〇〇に比べたら自分はだめだ』という考えは、相対的な他人軸の価値観でしかない。」と記載された言葉を思い出した。

基本的に人に認められ、必要とされたときに幸福と感じ、人に頼りすぎる・もしくは自分が必要とされなかったとき(自分がなにかにたいして失敗したと認識したとき)に他人を通した自分の低い評価を想像したり、比べて自己嫌悪に陥りしんどいと感じるのだろう。

特に私のような他人軸で生きている人はその傾向が強いのではないかと思う。私なんていなくてもいいよね、いることで迷惑をかけているよね、と。そしてその思考がまた自分を動けなくさせる悪循環になるのである。

結局のところ、不幸にさせているのは自分の思考だということに気がついた。

心理学ではスタンフォード大学の心理学者キャロル・ドウェックが見出した研究で「無力性パターン」「熟達志向性パターン」の2種類の行動反応がある。(以降『ウェルビーイングの設計論 ひとがよりよくいきるための情報技術 (ラファエル・A・カルヴォ、ドリアン・ピーターズ著)』より参照)

それぞれどういうパターンかというと、
▶「無力性パターン」・・・挑戦を避け、困難を否定的に捉え、パフォーマンスを低下させるパターン
▶「熟達志向性パターン」・・・困難に面と向かったときに、挑戦を模索し、それを突き通す事のできる人々に見られるパターン
である。

上記のパターンは下記マインドセットに関係していると言われる。
▶「固定的マインドセット」・・・自身の能力は生得的な才能に基づくものであり、知性は生まれながらにして与えられたもので、変えることはできないと考える / 評価により重点を置き、挫折したときには「自分は失敗者だ」というように自身を評価する傾向があり、結果が良いものであっても「私は他者よりも優れている」と他者と自分とを比較したがる / 不幸を導きやすい
▶「成長的マインドセット」・・・自身の能力は時とともに発達し、向上させることができると考える / 自分の長所や短所を見出すのにとても優れていて、挫折したときには、それを学びの機会として考える傾向がある

流石にすべての事象に対して「努力は無駄だ」なんて思ったり、成功したときに「私は他者よりも優れている」なんて思っていないが、挑戦は怖いし、失敗したら自分を責めるみたいな考え方のクセとして「固定的マインドセット」であることは否めないと感じた。

とはいえマインドセットは変えていけると信じている。
他人軸でしか自分の価値を考えられないのであれば、
「他人軸」で自分の価値が上がるように意識すればいい。

成長するきっかけは「自分」でなくて良いのだ。失敗してその場で落ち込んでも良い。すぐに学びだ!なんて捉えられなくてもいい。
少し落ち着いたタイミングで、自分は〇〇はできないけど、〇〇はできるから、そこを伸ばそう!みたいに、できないことを受け入れ、どこに成長マインドをおけばチームのためになるのかを考えれば良いのだ。

なーんていうのは簡単なんだけど。
少しでも被害妄想をやめて客観的に考えられたら。
思考の癖を意識することから始めようと思う。


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