単推し/DD議論に関する簡単なメモ

アイドルやオタクの間でたびたび話題に上る単推し/DD議論。

アイドル側からすれば、単推しの方が都合がよく、オタク側からすればDDの方が都合がいい、その対立文脈で語られることが多い。

最近のTwitterを見ていると「DDのようなライトなファンこそがアイドル業界全体を支えており、よってあなたのグループもDDの恩恵を受けている」といったDDを正当化する言説が流行りのように思えるが、アイドル側からすれば「そんなことどうでもいいから、さっさと私を単推しにしろ」という話であり、なかなか決着を見るのは難しい。

自分も「単推し」のオファーを受けることがあるが、オタクが「単推し」になる理由はざっくり分類すると、

  1. 特定のアイドルにフルコミットすることで応援の価値を最大化する

  2. 特定のアイドルにフルコミットすることで繋がりの確率を高める

  3. オタクの経験が少なく、視野狭窄に陥ってる

のいずれかだと思うが、ポジティブなのは1のみで、アイドル側もこれを期待している。

オタクの経験が長い人ならあまりにも知られた事実だと思うが「単推し」というのは非常にリスキーである。推しというのはいついなくなるか分からない。だからこそ「推しは推せるときに推せ」というクリシェが流行るわけだが、不確実性の高い時代において、「単推し」はあまり賢い選択肢とは言えない。
アイドル、若い女の子というのは自分の欲望に非常に素直な生き物であり、ヤクザもびっくりするくらい平気で嘘をつくことがある。昨日までファンのみなさんが大事だよ、感謝感謝と言っておきながら、翌日には「重大な契約違反が云々〜」みたいなお知らせが流れることが年間1万5000回くらい起きているので、オタクもおいそれと単推しにはなれない状況がある。

オタクの大半は単推しでもなければ、DDでもない


単推しと言ってる人のなかにも、2番目3番目の推しはいるし、DDと言ってる人も、別に誰でもいいわけではない。

アイドルもオタクも単推しかDDか、という単純な議論になりがちだが、大半のオタクにとってのリアルは、単推しとDDの中間にあるグラデーションのことであって、単推しかDDかといった議論はあまり本質ではない。むしろ単推しかDDかという対立を煽ることによって、アイドルもオタクも悩ませる原因になっているようにも思う。

アイドルの悩みの大半は自分のファンが少ないことに起因するし、オタクはこの子をこのまま推してていいのだろうかという悩みが多い。

SNSなどを見てると、最近のアイドルやオタクは、両者ともメンタルが非常に不安定であり、なぜこのような状況が起こってるのか考えたときに、アイドルもオタクも共依存関係に囚われているからだと考えられる。

あまり語られないDDの悩み


意外と指摘されることがないこととして、DDの悩みがある。一般的にはガチ恋をこじらせた単推しの悩みを見聞きする機会が多いが、ここではあえてDDの悩みについて言及したい。

その悩みとはDDは常に選択を迫られているということである。

DDである以上、誰に会いに行くかという問いに常に悩まされる。一見選択肢の多いDDのほうが幸せそうに見えるかもしれないが、選択して決定するという行為は、人間にとって非常に高いストレスである。

単推しは文字通り一人の子を応援することなので、行動原理としては「未練が残らない」方向に動こうとする。単推しが特定の子に通い詰めるのは、突き詰めると未練が残らないように応援するということである。どんな終わり方にせよ、アイドルを辞する最後の日まで応援できれば、一応単推しの目的は達成したことになる。

他方、DDには未練ばかりが残る。誰かを選んで会いに行くということは、そのとき選ばれなかった子がいるわけで、それはつまり未練を残すということでもある。

アイドルがDDを嫌う理由

アイドルのメンタルと、オタクの自由意志に配慮すると、個人的な所感としては1グループに推し1人くらいがバランスが良いのではないかと考えているが、アイドルからしたら、それも微妙だろうか。

最近では〇〇単推しみたいな人もめっきり見かけなくなり、絶滅危惧種に近いが、プロフィール欄に推しの名前を掲載している人を見ると他人事ながらちょっと心配になる。単推しの定義もあいまいで、大概の場合、単推しのフリをしている人がほとんどだと思うが、その態度がアイドルから見て誠実かといわれると怪しい。

一方で、趣味で始めたオタクなのに、単推しであることに強迫観念を覚え、アイドルのお気持ちばかりに目が向いてしまうと、それはそれで、なんのために始めた趣味なのかが分からない。日常の人間関係で重視される、「人の気持ちを考えて行動しましょう」という通説に距離をおいて、各々が適度な距離感で愛でられるのがアイドルの良さなのに、本末転倒である。

アイドル、ファンビジネスは、自分の個性を十分に活かせる素敵な職業である一方、メンタルが不安定になりやすい。なぜならファンというのは非常に流動的だからである。TVにでてるどんな有名人でも、それは変わらない。ファンになってもらう喜びよりも、一回ファンになった人が離れていくことの方が、アイドルのメンタルに対する影響は大きい。人は得る喜びより、失うときの痛みのほうが大きく感じるようにできている。このあたりがアイドルがDDを良しとしない理由だろう。

DDが現場を決めるときの基準(自分の場合)

健全なアイドル活動を送るためには、適度にオタクを頼りつつ、依存しすぎる関係は逆にメンタルを不安定にさせてしまうので、やはり自分が強くあるしかないし、自分の身は自分で守る必要がある。

まったく気休めにもならないかもしれないが、最後に単推しではない自分がどういう風に現場を決めているかを示す。

たとえば同じくらい好きなA・B・Cというグループがあった場合、その日、どの現場にいくと、一番満足度が高いか、という軸で意思決定する。
それは、家からの距離かもしれないし(電車嫌い)、客の入り具合かもしれないし(人混み嫌い)、コスプレの内容(それはフリークだけ)かもしれない。複合的な要素があるのだが、改めて考えたときに、好きかどうかという単純な基準のみで現場を選んだりはしない。

推しがいるところならどこでもすべての現場に顔を出す推しメン至上主義の人からしたら想像しにくい価値観かもしれないが、意外と同じような考えの人は多いのではないか。

アイドルは「好きだったら来てくれるはずだ」、「来てくれなかったのはほかのグループに比べて好きじゃないからだ」と思いがちだが、必ずしも「好き」だけで現場は決まらないということだ。

好きだからこそ行かない、という選択

好きでい続けるために「行かない」という選択肢があることは、もっとアイドルに知られてもいいかもしれない。自分の持てるリソースを推しに全振りし、一時的に頭まで浸かるタイプのオタク活動もあるが、10年以上オタクをしていると、そんなオタク活動は持続的ではないことに気づく。

長年オタクをしていると、ふとある日、自分の人生からオタクを排除することはほぼ不可能だと悟る。そのとき意識が短期的なリターンより、いかに継続的にオタクとしての満足度を上げつつ長く続けるか、にシフトする。

オタクを長く続けるべきかはさておき、オタクを続けるには、常に精神的に身軽でいることが重要だ。特定のグループに愛着が湧きすぎると、フラットな評価ができなくなり、よりいいグループが現れたとき、損切りできない状態にも陥る。もちろん一人の推しを徹底的に愛でることで得られる充足感はあるので、推しに迷惑をかけない限りは自由だが、Twitterを眺めていると、愛が大きすぎて、迷惑行為スレスレみたいな人を多く見かける。

単推しに固執することの弊害

アイドルが単推しを求めるのは当然だが、単推しに固執しすぎることによる弊害についてもあわせて考えるべきだろう。

アイドル業界、特に地下は、疑似恋愛的な釣り針(ガチ恋営業)とガチ恋オタクの重課金によって成長してきたが、単推しが増えるということは、相対的にオタク(DD)の数が減るということであり、もしかしたらあなたのファンになる可能性があった人の芽を摘むことにもつながる。

逆説的だが、単推しへの強いこだわりを捨てることで、カバーできるファン層は拡大するだろう。


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