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荼枳尼天発、ジビエ経由、瞑想の旅(前編)

タイトルが長い!
要するに、自分が信じるものを信じようという今日の話。

今年に入ると、瞑想中にふと言葉が浮かぶ様になった。

それが名前だということはわからず、調べて初めて神様だったり、高次の存在だった
のかとわかる。

それはいつも、自分の状況とシンクロする名前であり、その時々に智慧を頂いていた。

この春、瞑想でふと浮かんだ「ダキニ…ダキニ…」というワード。

いつものようにググってみる。

一番最初に出てくるのは大抵
「麻原の愛人ダーキーニー」笑笑

ダーキーニーはヒンドゥーの夜叉。
心臓を喰らう。
ヒンドゥー圏では良く描かれない。

しかし日本では、大日如来によって帰依したキツネに乗った仏様だという。
商売繁盛祈願に人気があり、キツネ繋がりでお稲荷様として合祀される。

スマホで何本か記事をつらつらと読み…私はショックのあまり急激に体調を崩した。

何が?(´⊙ω⊙`)??

荼枳尼天を知れば知るほど、私がいつのまにか隠した事も忘れていたダークな本性を暴かれた気がしたのだ。

ずっとコンプレックスだった一重のキツネ目。
心臓を食う気はないが、怒ると闇深い。
嫌いな人間はとことん嫌い。

懐に入った者は目に入れても痛くない程愛するが、損得で接してくる心の無い狡猾な相手には冷酷なまでに線を引く。

善人よろしく、些末な争い事に首を突っ込まず、清廉潔白な精神世界に住人になったつもりでいたが、私など所詮まだまだ三次元ドップリだろうと…

グサリと釘を刺された気がしたのだ。

確かに丸くはなったと思う。

白か黒の世界観は人に好かれず、いつも何かと距離があった。
あの尖った若い日々は自分も痛かった。

そして子を産み、しょっちゅう高熱を出す息子のワンオペ育児は、子を失くすかもしれない恐怖とも戦った。

優しさを演じることに慣れたのか、もしくは外と戦う余力が無かった私の自己防衛か。

私が心を改めるので、どうぞ子供を助けて下さい…意図せず神に赦しを乞う行動だったのも知れない。

いつしか棘を隠して生きていた。

前職を辞め、スピリチュアルな世界に足を踏み入れたきっかけもそうだったが、随分とお稲荷様にご縁があると思っていた。

そして私の推し力は強い。
空いてる店も混みだすし、誰かの商売を推すことも好きなのだ。

人の役に立てる
人の痛みのわかる
善い人間になったと満足だった。

でもこれは神道由来の平和な稲の神様、ウカノミタマのご縁のおかげではなく、人当たりの良さとは真逆な荼枳尼天様だったのかと…

いや、これと言って御神託があるわけじゃなし、通りすがりに自己紹介をしていただいただけかもしれない。

もしくは私のハイヤーセルフが、この一連の
逡巡を経て、答えに着地するためのキーワードとして投げて来たのかも知れない。

ただこの日以降、忘れていた自分の本性(激しさ、冷酷さetc)の陰と向き合うことになった。

過去の黒歴史も後悔も、私のメンターにグダグダと心情を吐露し、心の浄化の一端を担ってもらった。

久しぶりに魂がギュッと絞られる様な、穴があったら消えてしまいたい揺さぶりだった。

それも日を重ね、答えはなくても落ち着きを取り戻した頃、全く別のベクトルから答えが来た。

              後編に続く



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