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決まっている話


何かに取り憑かれたように、ウォークインクローゼットの模様替えをした。

夏の間中気になっていたクローゼットの配置、及び着ていない(気付かないふり)のタンスの奥の洋服たち。

加えて、
低い方がいいだろうと、子供の衣類は私の嫁入り道具の木製タンスに収納していたが、重いせいかいつも開けっぱなし。

毎日が「泥棒来たんか〜!」を早6年。

プラの軽い収納タンスに変えるためには、親と子の服の入れ替えからタンスの移動など、大幅な修正が必要だった。

私は家を建てたときから、

・収納は作り込まず既存の収納家具でフレキシブルに!
・入りきらないほどの物は持たない!

を念頭に設計したので、収納家具は自前で用意するのだが、

メリット…如何様にも変形していける。

デメリット…センスが求められる(T∀T;)

ホームセンターで買うプラスチック製のタンスも、年月が経つとマイナーチェンジしている。
シンデレラフィットとはいかなくなる悩みも出てくる。

いろんな本でも言われているが、家は人の心をそのまま表す。

夏の余裕の無さから「この有様はしょうがない!今じゃない!」と自分に納得させていたが、寝室から洗面所にいわゆるウォークする度に気が滅入ってもいた。

さあ!いざ突撃!!
くらいの親の仇でも打つような気合いでもなければ動けんなあ…なんて思っていたのに…

歯磨きのついでにちょっと動かし、それを捨てるか逡巡し…

結局そのまま1日かけて収納を模様替えし、洋服の断捨離をしたのだ。


いや…
今日のnoteは、私がいかに大川栄策ばりにタンスを持ち上げ頑張ったかという事を書きたかったわけでなく…

私にはこの出来事を通して伝えたいことがあったのだが、あまりに壮大すぎて、そしてあまりに取り留めなさすぎて、斬り込み口を見失っていた。

私の文章力では無理なんだよう!と…。

書いては消し、「もうダメだ。昼寝だ」と入ったベッドで見つけたkaloさんのnote!

まるでコレでしょう!と差し出されたかの様だ。

翌日、全身の筋肉痛をほぐそうと、頑張ったご褒美だと、入浴剤を浮かべ昼風呂に入った時に、

決まってたんだわ

とフッと頭に浮かんだ。

神棚の掃除も、日課の瞑想も、高次に感謝する余裕がなくなってスピリチュアルを忘れそうになっても、ちゃんとこうなるようになっていたんだと。

要するに、

手を合わせたり、神を崇めたり、墓参りしたり、スピリチュアル風に吹かれてみたり。
いつも感謝を忘れない事は大事だが、もっと高い所?の宇宙の計らいは、その位置にはない。

嗚呼。もう言いたいことが書けない( ; ; )

決まっていたのだ。

私が心地よいクローゼットを作るのも、
それには居心地悪く夏を過ごすのも、
大掃除大移動になるがために、夏の終わりと共に急性副鼻腔炎で病院に行き、アレルギー薬で強制的に睡眠を取らされる事も。

それも感覚としては
「願望が叶った」とか、
「見ていたイメージが本当になった」とか、
そうした、こちら(現在)からあちら(未来)へ向かう感覚ではなくて
どうも、それは、すでに(未来で)起きることが決まっていて。

決まったものを、ただ見ている。というようなことなんだな。と。

kaloさん、コレですコレ!Σ(*゚艸゚*)


結局は決まっている点と点を結ぶとすれば、委ねる方がいい。

コントロールしようと頭をフル回転させていたあの日の私。
今ならそっと肩を抱いて、
「ジタバタしなさんな」と言ってやりたい。

なるようになる!

今日ほど腑に落ちた事はない。

kaloさん、素敵なnoteありがとうございました。

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