執筆する際には経験が必要?という話

久しぶりに創作のお話しをしようと思います。

『経験が小説にどのように活かされるのか、またそれが必要なのか?


ということに対する僕なりの考えを書いていく記事になります。
これはそれこそ執筆というものを『経験』して思ったことです、そしてこれは僕の考えであり読者の方は読者の方の考えを大切になさってください。
あくまで一つの意見として提示させていただきます。

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結論から言うと『経験が活きる場面、邪魔になる場面、必要ない場面の全てがある』というのが僕が執筆してきて感じたことです。

では、この3通りの場面を詳しく書いていきます。


経験が活きる場面

経験というのは何にも代えがたい財産です。
特に多くの人がやったことがないこと、ラッキーで体験出来たこと、逆にアンラッキーであるもののレアなこと、努力で掴み取ったことなど、人生の中で得られた経験は間違いなく創作に活きてきます。
具体例を出しますと、

こちらの小説なのですが、登場人物二人が東京旅行をする話になっています。

その旅行を描くにあたって、僕は『取材という名の経験』をしてきました
ホームページやその場に行った方の感想など、それを使って書くことも出来たかと思いますが、特に気象庁の施設は肌で感じて体験したいと思い取材を行いました。
結果、自分で感じたことで実際にある展示物などを克明に描写することが出来たのです。
これはやはり体験しないと知り得ないことですね。
その副産物として、浅草で外国人の方と会話した内容を小説に盛り込んでみたりと普段起こり得ない経験はネタの引き出しを増やしてくれたりするのです

あまりに使い古された例で恐縮なのですが『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する漫画家・岸辺露伴はとにかくリアリティにこだわるキャラクターです。
面白い漫画を描くにはリアリティが大事と豪語する彼は、その言葉通り漫画のためならクモを舐めたり山を買ったりと異常とすら言える行動を取ります。
これは極端な例ですが露伴、そして彼を生み出した荒木先生は自分で経験したこと・感じたことを大切にするタイプの作家です。
そして、その経験は創作物を生き生きとさせることに間違いありません。
『ジョジョ』のキャラクターは皆奇抜ながらも承太郎やDIOなど有名なキャラクター以外にも印象に残る強烈な個性を放つサブキャラ・モブキャラがいて、物語を盛り上げています。
もちろん波紋やスタンドの戦いのようなことは経験されていないと思いますが(波紋使いであるという噂はさておき)、キャラクターが話していることや行動・考え方・人生観など、先生の経験が活きているシーンは間違いなく多分にあると考えています。

つまり、創作をするにあたって今までしてきた経験が多いに越したことはないです。

普段の生活エリアから離れた土地に行ってみたり、キャンプや釣り、ラフティングなどアウトドア趣味をやってみたり、工作に興じたり、美味しいものを食べたり、なんでもいいです、出来る経験は無限大です。
時には怪我や病気をしてしまってもその痛みや苦しみを味わったことがその後の創作や人生にも活きることがあるかもしれません。
僕自身一昨年足の指を亀裂骨折したのですが、3ヶ月まともに歩けない生活を経験して歩けることの大切さやありがたさを感じたり、あと骨折の痛みもそりゃ体験したくはないですが体験することが出来ました。
そして、リハビリの過程で人間が正しく歩行するメカニズムを教わったりしましたし、なかなか得がたい経験だったと思います。

創作に活きる経験を得る方法はたくさんありますし、何気なく歩いている時にも誰かの会話からヒントを得られたりします。
まさに露伴先生の言うリアリティ、説得力を強く作品に持たせられる経験をたくさんしていけば書いていてより面白いものが出来ると思います。

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経験が邪魔になる場面

散々経験をすることはいいこと、した方がいいとのたまっておきながら全く逆のことを書いていきます。

経験が邪魔になるのは大抵その経験が深く・知識が豊富にある場合が多いです
この場合その『経験・知識』を創作に出す時、どうしてもこだわりたくなってしまうのではないでしょうか。

自分を例に出すと、僕は野球が好きです。
見るのも遊び程度ですがやるのも好きで、普通の人よりはそれなりに詳しいんじゃないかと思います。
そのため創作に野球を持ち込むなら、どうしても無駄に凝った描写をしてしまいたくなります。
めんどくさいこだわりを発揮してしまうと思います。

例えば

「ピッチャー、振りかぶって投げた!ストライク、バッターアウト!」

という文章があったとします。
僕はこの文章からいくつもの疑問点が浮かんでしまうのです。
読者の方は何かおかしいの?と思われるかもしれませんが半端に知識があるせいでそうなってしまうのです。

「最近は振りかぶらないで常にセットポジションで投げるピッチャーの方が多いけどワインドアップにした理由があるのかな」
「球種はなんだったんだろう」
「空振り三振?見逃し三振?」

この三つはまあどうでもいいです。
とにかく、なまじ経験があることで考えを巡らせてしまい創作が滞ってしまうことがあります。
僕の場合特にスポーツ全般、将棋、お茶、いちご、靴に関しては人より強いこだわりがあるので創作をする際は敢えて細かい描写を避けたり、最低限の言及にとどめたりします。
でないと先に進めないからです。
挙げたものは妙に限定的ですが要は特に好きなもの、ですね。
好きだからこその難しさがあります。

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経験が必要ない場面

もはや経験など必要ないとか言い始めました。
しかし、創作においてこういった場面が一番多いものです。

創作の中でも特にファンタジーなどでは常識では考えられないことが起こったりしますよね。
魔法を使って戦ったり、ドラゴンに街が襲われたり、素材を集めて調合したり…そんなことをどうやって経験するんだ!という話です。
現実世界が舞台だったとしても、例えば殺人を行ったり、薬物に手を染めたり、絶対に入ってはいけない場所に入ったり。
人として決して経験してはいけないことも無限大なわけです。
それ以外のポジティブなことだって、映画スターや世界的大企業の社長になってその人たちの気持ちを理解する…なんてことも現実的ではありませんね。

しかし、創作の中ではそれが叶います。
何故なら『創作』なのですから、突拍子もないことやルールから外れたことも起こすことが出来ます。
そこで重要になってくるのが『想像力』です。
経験出来ないのならば創作者は想像するしかありません。
ただ、経験したことがないからこそ、想像力で補ったからこそ生まれる表現もあると思います。

例えばこの文章を書いている僕は、pixivに今日現在までに140本以上の小説を投稿してきました。
そのほとんどが一人称視点で、かつ語り手は女性キャラクターです。
まずこの時点で普通より大きく想像力を働かせていかないといけません。
何故なら僕は女性ではないので想像や調べることで補う部分は多岐に渡ります。
ぶっちゃけると女性物の服を調べるのにめっちゃZOZOタウンとか覗くようになりました。
経験が出来なくとも、リアルに近づく努力はしていきたいので。

他の例を出すと、暴力的な表現ですね。
バトルやミステリなどのジャンルでは暴力や殺人を描写することもあるでしょう。
では例えばナイフで人を刺すシーンを書く時、それを経験することはまあ間違いなく不可能です。
ただ、体のどこにナイフが刺さったのか、刺した被害者は何を思ったのか、事切れるまでの加害者の心情はどうだったのか。
そういったことをしっかり想像して書いていくことで臨場感や説得力を持たせることが出来ます。
そもそも、数多の作品を書いてきた先人たちもそうしてきたのでしょうから。

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おわりに

書いてきた通り、創作において経験が活きる場面は確かに多くあります。
ただ、それは引き出しの一つに過ぎません。
想像力で補うことが大半なのです。
とはいえ引き出しが多いことは悪いことではありません。
◯◯を経験していたことでアイデアが浮かんだ、とかキャラに◯◯をさせる時鮮明に描けた、とか、経験が無駄になることは決してありません。
同じく創作をしている人を見るとアイデアに詰まったという意見をよく聞くのですが、もしかしたら今までしてきた経験がそれを助けてくれるかもしれませんね。

読んでいただきありがとうございました。

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