サラ・ダッシュ・インタビュー
議会図書館によって企画されたサラ・ダッシュ インタビュー
2021年4月2日
議会図書館:これからレコーディングする曲として、「Lady Marmalade」はどのようにラベルのメンバーへ紹介されたのですか。スタジオでですか、誰がそれをプレゼンしたのですか。
サラ:共同作曲者であるボブ・クルーはカリフォルニアに住んでおり、その地で私たちは今はCBS/Sonyの一部門になってしまったエピックレコードとちょうど契約をしたところでした。
カリフォルニアにいるうちに、新曲を私たちに見てもらいたいと話していました。ノナとマネージャーのヴィッキー・ウィッカム、パティと彼女の夫はカリフォルニアで、レコード会社のコンヴェンションでお披露目されるついでに、休暇を楽しんでいたのです。その当時は、レコード会社のコンヴェンションが開かれていました。コンヴェンションの前に、私は休暇で島へ行きましたが、ノナとパティはカリフォルニアへ行ったので、ボブは皆を自宅へディナーに招待したのです。彼は君たちのためのヒット間違いなしの曲があるんだと言っていました。後日、彼女たちにボブがどのようにそれを披露したか教えてくれました。とても面白かったって。部屋の中を歩きながら、ところどころフランス語歌いながら…
もちろん、パティにはフランス語の部分の意味なんかわかりません。
コンヴェンションの後、エピックへのファーストアルバムのレコーディングのためにニューオーリンズに向かうことになっていました。アラン・トゥーサンがプロデュースをすることになっており、すでに吹き込む曲は選んでありましたが、この曲をどうしても吹き込みたくなりました。打合せの時、「アラン、やってみたいのはこの曲なの」と私たちは言いました。
コンヴェンション当日の朝でした。私たちはエピックに入ったばかりだったので、A&Rやプロモーションの人たちのため午前10時の枠を確保してもらっていました。私たちは多くの人を驚かせました。宇宙服に身を包んだ3人組のガールズグループが登場したのですから。「ここはどこだ? エイリアンにさらわれたのか?」と思ったはずです。プレゼンは上手くいきました。
議会図書館:この曲はニューオーリンズで吹き込んだのですよね。どのように感じでしたか。
サラ:アランのスタジオでです。私たちはエピックと契約したばかりなので、会社は私たちのサウンドのことを気遣い、私たちのことを本当に理解してくれる人に委ねたかったのです。それがアランでした。皮肉なことに、「Lady Marmalade」はフレンチ・クレオールの雰囲気がありました。
ニューオーリンズに着くと、私たちはナーバスになっていました。「Lady Marmalade」をレコーディングすることに関係者は同意していましたが、私たちはちょっと心配していました。初日にスタジオで彼を待っていましたが、なかなか現れないので「遅刻したのか」と心配してしました。その時、神の声を聞きました。「Hello Ladies!」 彼は2階のオフィスで、私たちの会話を聞いていました。そして彼はスタジオの中のすべてをコントロールしていきました。最後に「さあ、Lady Marmaladeから始めよう」と言いました。
あのアルバムの中では「Lady Marmalade」が最初に吹き込まれた曲です。
議会図書館:後年になってパティ・ラベルは、レコーディングの時、この曲の中心的な質問の意味を知らなかったと語っていました。あなたはわかっていました。
サラ:好奇心旺盛な私は、尋ねずにはいられませんでした。ヴィッキーはフランス語が担当だったので、彼女に聞いたのです。パティには聞こえなかったと思います。私はちょっとだけイタリア語を知っていたので「Will you…」ぐらいはわかりましたが。ヴィッキーに意味を教えてもらい驚きました。
でも、それは素晴らしかったです。この歌のもっとも驚くべき要素です。聞いた人は、それが何を意味するのか、あるいは自分にとって何を意味するのかを考えねばなりません。
議会図書館:この曲は暗示的なので、ラジオや世間からの反発があった記憶はありますか。
サラ:はい。よい質問です。
当時のテレビです。チェックがとても厳しかったです。マイク・ダグラスやダイナ・ショアの番組では、歌詞を変えなかければなりませんでした。「寝る」の代わりに「踊る」にしていました。アメリカはいつもヨーロッパとは違っていました。ヨーロッパでは放送中にパンツを脱ぐことができました。
ワシントン州シアトルでの公演で、アンカー修道会かどこかの修道女は「なんと下品な」と非難しました。それまでチケットの売れ行きは悪かったのですが、修道女が抗議をしてくれたおかげで助かりました。チケットは飛ぶように売れ、完売しました。
一方ではラジオ局も絡んで、DJが電話をかけてくることがありました。「あなたには5番目に電話するのですが、この曲が何を言っているのか教えてくれるなら……」と。
「Lady Mrmalade」はセンセーションを巻き起こしました。シアトルに行く頃には、トップ10に入っていました。私たちはレモンをレモネードにしました。修道女の皆さん、ありがとう。
議会図書館:ヴォーカルのパートはどのように作ったのですか。
サラ:パティがほとんどの曲でリードを歌っていました。ノナと私はバックアップです。私は長い間ハーモニーを担当してきました。どういうわけか、私たちのサウンドにぴったりはまったのです。
私はハーモニーにずっとこだわり続けてきました。私の身体の中にいつもあります。神がその才能を与えたのです。かつては5オクターブの声域でした。今は4オクターブ半ですが。
今では、パティもノナも私も、個々のソロコンサートで「Lady Marmalade」を歌います。それぞれが独自のアレンジを持っています。でも、だれか一人でも、三人が一緒にいても、オリジナル通りに戻ったり、即興でエンディングを作ったり、ステージに観客を招き一緒に歌ったりできます。
議会図書館:先ほどヴィッキー・ウィッカムに触れていました。彼女はこの曲のプロデューサーとして名前が挙がっています。彼女はこの曲の政策に関わったのですか。
サラ:はい。彼女はラベルの戦略や管理について担当していました。彼女が楽器を手にしたのは見たことがなかったと思います。彼女はよい耳を持っており、私たちのサウンドに本能的、直感的な波動を持っていました。彼女は私たちのサイモン・コーウェルでした。
議会図書館:アラン・トゥーサンはプロデューサーとして、レコーディングの何を担当したのですか。
サラ:全てです。あのアルバムは私たちの人生を一変させました。彼のプロダクションが私たちの存在すべてを変えたのです。ニューオーリンズのネヴィルブラザースのような素晴らしいミュージシャンたちにアクセスできることもとても素晴らしい経験でした。なによりハーマン・アーネストの叩くドラムと、ジョージ・ポーターの「Lady Marmalade」のブレーク!
私たちの必要なものをアランは提供してくれました。それまでのアルバムでは私たちはプロデュースにも部分的に関わってきましたが、二ューオーリンズに着陸した途端、これはなにかが違うぞと思いました。
もちろん、彼は私たちがシンガーであることを知っていました。そして、私たちの声を最大限活かしたいと思っていました。彼は私たちの声を、音楽と、ノナの書く曲と、ミュージシャンたちと、そしてパティと私の解釈した音とを融合しました。アランは「Nightbirds」というアルバムでそれを実現しました。
議会図書館:あの時「Lady Marmalade」が流行ったのはなぜだと思いますか。
サラ:ルネッサンスが進行していたからだと思います。公民権運動が高まり、女性の人権が力を得つつありました。ニューヨークではゲイの権利が台頭し、大きな力となってきました。知っての通り、口コミはどんな新聞より効果があります。
この曲はディスコブームの始まりの時期に、DJたちにより宣伝された最初の曲です。私たちはみんなクラブに通って一晩中パーティーをしていました。ザ・ガレージやザ・コンチネンタル・バス…… それは共同体の重力で、運動でした。
人々が論争することも必要です。「Lady Marmalade」もそうでした。1皿が500ドルするようなディナーの席で、この曲について話している人たちがいました。テレビ番組でも、この曲を引用するようになりました。
議会図書館:2001年にはミッシー・エリオットがピンク、リル・キム、ミア、クリスティーナ・アギレラをフィーチャーしてこの曲をリメイクしました。
サラ:「ムーラン・ルージュ」が公開されたとき、この曲のビデオを見ました。もちろん、ラベルはビデオを撮っていません。クリスティーナ・アギレラを見て、「あの子は歌えている。」と思いました。
誰かがあなたの作品を再訪してくれるのは名誉なことだと思います。
愉しかった。彼女らのバージョンは魅力的だと思いました。そして、「誰が一番上手かったか」という論争が起こり、ラベルにも注目が集まりました。
レコード会社もラベルのアルバムを再発しようと思ったのではないでしょうか。
議会図書館:なぜあなたたちのバージョンがこのように生き残ってきたと思いますか。
サラ:そう、三人の黒人女性が世界最古の職業についてフランス語で歌ってるから。テーブルの下に捨てられることはありません。そして、音楽の質、音楽を作る方法、そして声でしょう。