幸せな思い出は涙をさそう


今日アラジンを見た。

実写化のアラジンは、1年前くらいにNetflixかなんかで

父と一緒にみていた。

その時は、母を失った悲しみもまだ強く抱えていて、必死に時間を潰していたころで、見た記憶はあっても、中身をあまり覚えていなかった。


前日、今回の実写版のテレビ放送予告を見るなり、

明日アラジンを見ようって父が言った。

楽しみにしているみたいだった。


当日は

アラジン見るから先にお風呂とかいうくらい、見たい気持ちをふりまいて


見始めるなり、父がいう。

「ママと何回も見たんだ、アニメのほうは。

本当によく見た。」


2回も3回も言葉を変えていう。

聞こえてるよってなだめた。


思い入れが強さはじゅうぶんに伝わってきた。


陽気な挿入歌が多いアラジンは、時々笑いを誘った。

だいたい、同じようなところで笑う父。

そんな姿を見てると、

喜び混じりにほっとしているような、そんな感覚がある

家族との温かい時間に、たぶん私は救われている


アラジンの山場もすぎて、

ハッピーエンドのまた陽気でおかしなシーンで笑ってたら

だいたい同じところで笑う父が笑わない


変だなと思ったら


泣いていた


紛れもなく泣くシーンでも展開でもない




すごく胸が痛くなった


私にとっても、最愛の母を亡くしたつらさは

1年と半年以上たった今でも、涙を誘うことは少なくない


その気持ちと比較なんてできないけれど

愛した妻を、パートナーを亡くして

その思い出に触れて、

もう居ない事実から逃げられなくてつらくなるその気持ちは

測り知れない


父の涙は

母が亡くなるまで見たこともなかった


かける言葉が見つからなくて、肩に手を置くことしかできなかった


60を過ぎた父のこれからの人生

こんな悲しい気持ちになることが、まだ何回も何回もくるのだろうか

胸が押し潰されそうだった



ママ、あなたがいない毎日は

あっという間に過ぎ去っていくけれど


あなたに会えない悲しみは、きっとしぬまでなくなることはないんだろうね


いまも、自分が死んででも逢いたいという気持ちは

眠れない夜に、ときどきおそってくる


いつか、ちゃんと人生を全うして息を引き取る日がきたら

あえるんだよね ‥   ?



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