カープダイアリー第8486話「瀬戸内海出世部屋ヒストリー」(2024年1月7日)

広島市内から北の方に目をやると雪雲が見えた。瀬戸内海そばを西に向かって伸びる国道2号線。陽当たりの良いルートだが、相当冷え込んだ。

佐伯区から廿日市市に入り、JR宮島口駅前を過ぎるとほどなく大野寮が見えてくる。新人入寮日。午後0時過ぎ、一番乗りは地元北海道から遠路はるばるやってきたドラフト3位の滝田一希だった。

担当の近藤芳久スカウトとどこか似たキャラで“温厚”という言葉がぴったりだ。実際、多くのことをスカウトから聞くことで、チャレンジする思いを募らせてきた。

「一日でも早く成長して、一軍の舞台で野球できるようにがんばりたいと思います」

部屋で荷ほどきすると、「近くにいることを信じて…」と病気で亡くした母親の写真を飾った。高校時代は連合チームの主将兼左腕エース。大学4年間で大きく成長できた、という自負はある。しかし、ここはこれまでとは別世界。結果を出さなければほどなく居場所はなくなる。

常廣羽也斗は大分の実家から親の運転する車でやってきた。「出世部屋」と聞かされた104号室のドアを開けたドラ1右腕は、母親が手作りで贈ってくれたバッグとともに部屋に入った。ほかには段ボール2箱だけ。テレビもないし、ゲーム類すら持ち込んでいない。

「いよいよ始まるなって感じで、早くからだをみんなで動かしたいなっていう、そういう気持ちです」

寮生活で鍛えてきた大学4年間だったが「野球に集中できる環境」はやはり別モノだ。

青学大野球部寮は横浜市の相模原キャンパス内にある。授業がある日は都内渋谷区にある青山キャンパスまで往復2時間をかけて通っていた。練習と学業。夜中まで起きていても朝5時起床で朝練習。目標だったプロになったからには野球に集中するのみ…

それにしての常廣羽也斗はどこまでこの「出世部屋」ヒストリーを知っているのだろうか?

新人王を獲得した野村祐輔や大瀬良、同じく栗林や森下…。新人王には縁がなかったが今やメジャーリーガーとしての地位を確固たるものにした前田健太も同じ空間からスタートした。

入団1年目2007年に二軍でのみ103回2/3を投げたことがマエケンヒストリーの始まりになった。早い時期にいかにしっかりとした土台を作ることができるか。高卒にもかかわらず、それができていた。

2年目から一気にブレイクする中にあって、阪神サイドからその成長ぶりを見ていた新井監督は当時、「入団してからのコメントがすごくいい、勝てない時も前向きコメントで、黒田さんとダブるところがある」と未来予想。もう本人は忘れているかもしれないが「エースの条件を兼ね備えている」とも言っていた。

ドラフト6位で出世部屋とは無縁だった指揮官の“眼力”が、新たに加わった寮生8人のどんな能力をどう見抜くのか?そして、いくらでも練習できる環境下にあっては、一日ごとにその差がつくことになる。

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