カープダイアリー第8251話「メジャーリーグの風ヨコハマへ…サイヤング賞右腕vsカープ打線」(2023年5月3日)

横浜にメジャーリーグの風…


その主役は、トレーバー・バウアー。

 

JRの関内駅や東急東横線の横浜駅などでは朝早くから「BAUER来浜」のポスターとともに記念撮影するファンの姿が目に付いた。この日から横浜高島屋の壁面にはポスターと同じビジュアルの巨大懸垂幕も登場した。チケットは完売。午前11時30分の開門を前に、ゲートには長い列ができた。

 

その風景はNPBの球団経営の在り方にも、新たな風を吹き込むものだった。同時に横浜の海と強さを表す紺色が、赤く染まる広島の街とそのマツダスタジアムのスタンドをも追い越した。

 

2011年4月4日、IT企業のディー・エヌ・エーによる横浜ベイスターズ買収が発表された。総額95億円。東京放送ホールディングス(TBS HD)などからベイスターズ株式66・92%を65億円で取得するほか、NPB(日本プロフェッショナル野球組織)への保証金などとして30億円を支払うというものだった。

 

横浜スタジアム使用に関する諸課題や横浜市との連携の在り方など課題は山積していた。

 

だが、それまでのTBS・DeNAはそんな前向きな話にすらならないほどじり貧だった。

 

TBSグループは2002年、マルハの撤退によって浮いた形になった球団の株式を引き受ける形(引き受けさせられる形)でベイスターズを子会社化した。

 

放送局がプロ球団を所有することで様々な相乗効果が期待されたが、いざフタを開けてみるとどこにでもあるような応援番組や、赤坂の本社社屋前歩道に「ドカベンバナー」を掲げた程度で気の利いたコラボ企画は展開されず、はっきり言って「無策」…

 

このころすでにTBS自体の経営が危うくなっていたから、球団経営にまで口を挟むほどの知恵も余力もなかった。(実際、2017年11月には約65年続いたナイターラジオ中継をシーズン限りで終了させると発表)

 

2008年、09年、10年と3年連続で90敗以上。TBSの「無策」ぶりはチーム力をどん底にまで貶めた。

 

ソフトバンクが日本でiPhone端末の発売を開始したのが2008年。ドコモが初のAndroid搭載スマートフォンを発売したのが2009年。

放送から通信へと時代が大きく転換する流れが一気に加速。プロ野球中継は、テレビで見るものではなく、スマホやパソコンの画面で見るものへと移行したのである。

 

TBSを他山の石としたいDeNAは、球団経営の基本に「地域密着」を据え「カープ球団」の歴史とマツダスタジアム移転後の取り組みをその手本とした。

 

2015年シーズンに年間181万人を動員してマツダスタジアムの集客力に迫ると、本拠地「横浜スタジアム」の運営会社を74億円で買収すると発表。チーム力もラミレス監督1年目の2016年には最下位から3位になり、その後も3位、4位、2位と日本シリーズの舞台にも立つ大躍進を遂げ、その先を三浦監督に託した。

 

同時に東京五輪に向けて約6千人を増員する大規模なスタジアム増築改修工事が進められ、2020年3月に完成した。

 

その見上げるスタンドにプロ野球開催日における過去最多の3万3202人。その記念すべき「横浜の日」のお立ち台に楠本、桑原に続いて名前を呼ばれて上がったのがバウアーだった。

 

「アリガトー!」

 

「ヨコハマ、シカ、カターン!」

 

いきなりの日本語対応にベイスターズファンがまた歓喜した。

 

シンシナティ・レッズ時代の2020年サイ・ヤング賞右腕は、なかなかのナイスガイだった。球団側の事前のアピール告知もあって、その注目度は高まる一方だったが、7回98球7安打9三振1四球の1失点で自軍に勝利を引き寄せた。

 

前夜、山崎康晃を攻略して勢いづいたはずのカープ打線も、バリバリのメジャー右腕との対戦では攻めあぐねた。

 

二回に2020年に同じカリフォルニア州出身でレッズでチームメイトだったマットが6号先制ソロを赤いレフトスタンドに運んだのみ。



その後はヒット、試盗塁、四球、送りバントと手を替え品を替えトライしたが決定打とはならず、1対4、3点を追いかける七回の二死二、三塁では代打松山が空振り三振に倒れた。



マイクに向かって「元チームメイトにホームランを許した以外は体の状態もコントロールも球の強さも良かった」と話したバウアーはこう続けた。


「今までプレーしてきた中で一番特別な日になりました。この素晴らしい雰囲気を提供してくださりありがとうございました。みなさんのことが大好きです」


ロサンゼルス・ドジャース時代の2021年7月、女性へのドメスティックバイオレンス疑惑で194試合の出場停止処分(これでも短縮されており最初は324試合だった)を受け、大リーグでの登板はその後一度もないまま3月14日、DeNAから契約が発表された。


長い空白期間を埋めてくれたのはブルー。来日して1カ月あまり。新たな環境に対応すながら、二軍戦に投げて調整してきた。スタンドと西日の射す空の色はきっと忘れられないものになるのだろう。


「ヨコハマ、シカ、カターン!」を繰り返したヒーローに拍手喝采のスタンドの声援は、三浦監督にとってもありがたいものだったに違いない。


「いや、もう(試合前は)がんばれってひと言だけでした。楽しんでって話をして初登板ですけども、しっかりと期待に応えてくれました」


内情は不明だが、推定年俸4億円で実力と人気を兼ね備えた切り札を球団が獲得したことで、4月を首位で駆け抜けたDeNAにはいっそう弾みがつくことにならないか。


これまで緒方監督の時も佐々岡監督の時も、横浜スタジアムでは凄まじい“青と赤のせめぎ合い”がスタンドでも繰り返されてきた。カープと新井監督をよく知る石井琢朗打撃コーチの存在もあなどれない。


レフト側が赤く染まる今季の横浜スタジアムは、さらに熱い戦いの連続になるだろう。DeNA戦はここまで5戦を消化して、いずれも九回にセーブシチュエーションとなっている。

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