カープダイアリー第8567話「カープ必勝祈願の日センバツに春の嵐…八回2点、九回3点勝ち越した広陵が延長サヨナラ負け」(2024年3月27日)

雨が続いていた広島に青空が戻ってきた。広島城跡のソメイヨシノも花をつけ、数日後には満開、となりそうだ。午前10時、城内にある広島護国神社にカープ球団関係と首脳陣、選手一行が到着した。


そして、今年もまた松田元オーナーを先頭にして鳥居をくぐり、必勝祈願に臨んだ。


同オーナーが実質的な球団トップ(オーナー代行)の座について早や40年。チームが最後に日本一になったのが1984年だから、その間、まるまる日本一から遠ざかっていることになる。


人類史上初の原子爆弾が上空およそ600メートルで炸裂したこの街は、あっという間に焼け野原と化した。


2023年5月21日、広島G7サミットでこの街を訪れたウクライナのゼレンスキー大統領は、1945年8・6直後の街の写真などを見学して、「ウクライナのバフムトで起きている破壊と、かつての広島の写真が似ている」とコメントした。

 

広島護国神社の鳥居は、爆心地からわずか200メートルの位置にありながらその姿を保ち、のちに今の場所に移設された。それなのに、松田元オーナーは選手らと一度たりとも慰霊碑に献花していない。

 

新井監督や選手たちは、こうした話をどこまで認識しているだろうか?

 

堂林選手会長は絵馬に「日本一」と記して「いよいよ、この時が来たなという感じですね、優勝、日本一を勝ち取れるように、しっかり一年間戦っていきたいと思います」と話した。

 

チームはその後、マツダスタジアムに戻り移動日前練習を行った。この時点でメンバーに残った田村俊介や久保修には“開幕スタメン”の期待がかかる。益田も初切符を手にして横浜に移動した。

 

同じころ、甲子園ではにわかには信じがたいようなことが起こっていた。

 

3度目のセンバツ優勝を目指す広陵は、初戦をサヨナラ勝ちで突破した青森山田と対戦。3季連続で大舞台のマウンドに上がったエース高尾響(3年)は、七回までノーヒットピッチングを演じて迎えた八回、味方打線が待望の先制点をプレゼントしてくれた。しかも2点。

 

ところがその裏、先頭の代打・蝦名翔人(2年)に初球を叩かれ打球は左中間へ。打たれたのは右打者への一番の武器、アウトローのスライダー。無死二塁にされた1球が、その30分後には悲痛なエンディングへと繋がっていく。


続くバッターは五回途中から先発の桜田朔(3年)のあとを受けマウンドを託された エースの関浩一郎(3年)。失点直後の打席もスリーバント失敗に終わり一度は試合の流れが広陵サイドに傾きかけた。ところが高尾響は一、二番に連続四球を与え、ミスミス相手に反撃の機会を与えてしまう。結果は同点タイムリー。三番・津島陸翔(3年)に投じたアウトローへのスライダーは木製バットの先で捉えられ、打球はライト前へ…またしても打たれたのは初球。


それでも九回の広陵打線は、相手の守りのミスにも乗じて3点勝ち越した。この時、関浩一郎はどんな思いで投げ続けていたのか?


だが、青森山田ベンチは、どうやら誰ひとり下を向いてはいなかったようだ。


その裏、高尾響が先頭を歩かせたことで、広陵ベンチにいたはずの勝利の女神の姿はとうとう見えなくなった。案の定、一死から蝦名翔人、関浩一郎に連打され、満塁のピンチで一番・佐藤隆樹(2年)に左中間を破られた。。ここも初球、今度は左打者の外角に投じたスプリットを狙われ、走者を一掃された。


1年時からエースを託された右腕は、昨夏の慶応との事実上の決勝戦でもひとりで投げ切り、延長タイブレークの末、サヨナラ負けを喫した。同じパターンにはまるのは、やはりそれなりの理由があるから、だ。迎えた延長十回、得点できず守りについた広陵ナインは、犠飛を見上げた瞬間、春にはもうその先がないことを悟った。


強いはずなのに不思議なほど同じパターンにはまってしまうのは、その背景に“必然”となる要因がちりばめられているから。今の広陵の場合は、素晴らしい選手の集合体である一方で、主将も務める只石貫太と高尾響のバッテリーにウエイトがかかり過ぎている、との声がある。


カープが12球団の中で最も日本一から縁遠くなっている理由もそこにある。オーナー室に権限が集中し、GMさえ存在しない今の編成システムでは「日本一」に上り詰めるような、分かりやすく言えばオリックス(福良淳一ゼネラルマネージャー兼編成部長)や阪神(嶌村聡専務取締役球団本部本部長連盟担当兼アマスカウト部長)のような、バランスのとれたチーム作りは難しい。

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