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登場人物の”気”になる

落語を演じる時に大切な要素として、登場人物の気になることが挙げられます。これがなかなかむつかしいです。

自分では登場人物の気になって演じているつもりでも受け手に登場人物が視えていない。その状態では噺が入ってこない。

そもそも演じると思っている時点で、受け手に噺が入ることはないのかもしれません。

登場人物そのものになっているからこそ、噺となるのだろうか。あー、むつかしいな~

ひとつ言えることは、稽古しろっていうことかな。。あとひと月で発表会だ。稽古しよ。


もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。