マガジンのカバー画像

落語と内面

17
落語を通して自分の内面と向きあうネタを収録しました。これが一番伝えたいことかもしれない
運営しているクリエイター

2022年7月の記事一覧

面白いところを見つけて笑う

「面白いところを見つけて笑う」 落語の楽しみ方の最高峰だと思う。 文華師匠の鉄板のまくらの言葉である。名言だわコレ。 頭から尻尾までおもんない落語なんてない。もしあるとしたら聴き手が聞いていないだけだと思う。 全体的におもんないという評価はあるかもしれない。けれども、なにかひっかかる面白さはあるはずだ。 それは、仕草かもしれない。言い方かもしれない。とちって慌ててる姿かもしれない。目を凝らせば、面白いことは必ずあるはずなのだ。 でないと、なにをしに寄席にきたのかが

面白いところを見つける技術

落語を楽しむ極意は面白いところを見つけて笑うことである。 どこか必ず面白いところはあるのだ。面白いところとは、落語に限らずであると考えている。 普段の生活や仕事の中においても面白いところは必ずあるといっていい。 一見つまんなさそうな事柄であっても、一部分を切り取ると面白く映る情景はあると信じている。 情景が見つかれば、こちらのものだ。面白いところをを拡張したり、編集したりして、解釈の幅をひろげてることができる。そうなれば、一部分しか面白くなかったとしても、全体が面白くす

面白いところは言いたい

面白いところを見つけると人に言いたくなりませんか。 少なくとも僕はそうです。 「ちょっと聞いてんか、これこれこういうところオモロない?」 「ここんとこ、めっちゃアツいやん~」 「おれ、めっちゃツボやわ」 面白いと掴んだ感覚が他の方と共有できる幸せ感といったらないですね。 「そこ、わかるの?」 「そうそう、それそれ!」 或る意味、感覚の共有をしたいがために面白いところを見つける行為を果たしているといってもいいかもしれない。 今日は、文華師匠の寄席に行きます。面白いところ

面白いとは自己との対話である①

先日、文華師匠の寄席の帰り、文華師匠とはやしや福さんと中華料理を食べた。 食事中の会話の中で、はやしや福さんが言われたことが印象的だった。 「自分が面白いと思うところは他者が面白いと思うとは限らないよね」 「なぜ、自分は面白いと思うのかを掘り下げて考えている」 「結果として、面白いが他者と共感できると良いよね、ただ他者に合わせるとはちょっとちがうかな」 要約するとこんな感じであった。 ぼくもまるっきり同感だった。自分の面白いのツボを一番大切にしたい。だから、他者の面白い

面白いとは自己との対話である②

昨日、面白いとは自己との対話であることを書いた 文華師匠とはやしや福さんとの食事中の会話の中で印象的だったことを先のブログに綴った。 その会話の流れの中ではやしや福さんから 「面白いことを掘り下げるのは、つまるところ自己との対話なのよね」 という言葉を発せられた。 ほんとその通りであると思った。 自分が面白いとは、何がそうさせているんだろうと考えてしまう。ある人にはまったく響かない面白さであっても、自分にとっては面白い。その背景を知りたくなってくる。 普段、自分