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落語は不思議な芸だと思う。 面白い噺には前のめりにさせられる。上手い噺家さんだと、さらに前のめりにされられてしまう。 この噺の展開はどうなるんやろう、と興味わくわくして入り込んでしまうのです。 が、物語の中の噺だから、おもしろおかしく観ていられるのだけど、ふと、実はこの噺って自分のことだと気づかされる瞬間があるのです。 えっ、これって、ワシのことかい!って、他人事の噺が自分事に転換される。こんな瞬間をよく味わされるのです。そのたびに、落語にしてやられた、他人事やと思っ
落語には幸せを向上させる力が働いていると思う。寄席から出た時に「ええ噺聴いたな~」って感じて小屋を後にすることがあります。そのとき、幸せ指数が上がっているように思うのです。 自律神経を計測する機械があるのですが、自律神経の数値を幸せ指数と見立てるととても分かりやすい感じがします。 落語塾で指導いただいてる桂文華師匠は、稽古前にどんだけ自律神経が整ってなくても、稽古終了後には必ず【ご機嫌さん状態】となっています。 このことから落語に携わっていると幸せ指数が向上しているとい
先日、幸せ指数は測れるという記事を書きました。 ふと、幸せの要素ってなんだろうと考えました。自分の中に探そうとすると幸せがぼやけてしまい、いまいちわからない。 落語の世界を覗いていると、幸せな気分となっていることが多い気がする。幸せなことを意識してはいないけれど、自然にいざなわれているような。 落語の世界から、幸せな気分は保ったまま、自分の世界に戻ると【ご機嫌さん】となっている。といった公式が成り立っていそう。 落語の世界にある幸せを見つけ、自分の世界に持ち込んでみる