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有限的生の延長線上にある物

有限的生の延長線上にある物は、長寿では有り得ても、永生では無い。ただ人間は比喩として、手段として、方便として、長寿の先に永生を想定するしか手が無い。人間の知性は、長寿かさもなくば短命と短絡的二者択一で物事を判断するしか無い。可視光線の彼方に、不可視の光が煌めいたとしてもそれに気づく事はない。自分に視えるのは、自身に見合った邪悪宇宙でしかない。其処で邪悪宇宙人と遭遇し、ムシャムシャ食べられて一巻の終わりである。自身の被害者意識が、食べられる自分を創造してしまう。家畜を食べて舌鼓を打つ癖に、自分が食べられるのは嫌と見える。実に人間人類は、身勝手で放漫である。自分の今ある生は、有限でフラジャイルだから、生の脆弱性を悟るに十分である。不死は其処には無い。有限と有形にしがみつくから、死神に取り憑かれる。生まれながらにして不死、端から不老不死、つまり不生不滅の地点に立つ者は、神か人か魔物、或いはソマチッドだろうか?意識を時間的線分から、有と無を循環する公転周期にシフトさせる事で、意識は宇宙の寿命とリンクする。その時「私とは宇宙であった」、そういう気づきが有ってもいいのである。



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