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お金についての考え方

人はお金についてどう考えたらいいか、いつも判らなくなる。

お金はもともと労働の対価でした。それがいつしか富と権力の象徴になり、人々はそれを僅かしか手にし得ない現実を知るようになる。

そうなると、金持ちを妬み嫉妬し、汚い奴らだ、狡(ずる)いことしやがってと、お金や金持ちにネガティブな思いを重ね合わせていった。詰まり、一方でお金は喉から手が出るほど欲しい、だがお金に執着するのは端(はした)ないし、お金は汚い物と言う否定的想いを載せています。

つまり、お金に対して自分の中で自己矛盾を抱えているので、入って来ない訳です。 

聖者がお金好きだったら軽蔑しますね。だから「清貧」を美徳としたんです。それでそれを真似て、貧乏人が清貧を美徳としたり、節約と倹約を生き甲斐にしたら、お金は入って来ようが有りません。

未来社会では貨幣経済は無くなります。でも今現在ローンの支払いを怠ると罰せられます。そこでお金が世の中から無くなるまでは、お金と上手に付き合っていくしか無い訳です。

そこでお金をどう考えたらいいのでしょうか?

この宇宙の大原則に「引き寄せの法則」と言うものが有ります。「類は友を呼ぶ」です。言い換えると、「愛する者は愛される。」つまり、「お金を愛する者は、お金に愛されます。」だから、お金に愛されたい人は、お金を忌み嫌ってはいけません。でも人間ってお金を愛したり、自分を愛したりするのが苦手な人が少なくない。自分のペットを愛するように、お金を愛すればいいんです。とは言え何かお金をスリスリして愛でる自分って多少気持ち悪い。夜中に壺の中の札束を数えてニンマリしてたら気味が悪いかも。でもこれがお金を拒否るマインドなのです。マネーコンプレックスですね。素直にお金を「肯定できない」からお金が入って来ないんです。

ではどう考えたらいいのでしょうか?

お金や金持ちを「否定しない」し、「嫉妬もしない。」だって自分が今無いから「嫉妬心」が生じた訳で、既に充分有るなら嫉妬する必要も無い。

と言う訳で、お金は「豊かさの象徴」と考えます。既に今有るから、買いたい時に、買いたい物が買えます。だから、「今無い」と考えてはいけません。だって現実に無いじゃないかと現実を認識してもいけません。自分の心の中で、お金は既に今ここに有ると想像し、その想いを絶対に取り消さない。その上で、自分は豊かさを手にするに値する存在なのだと、自己肯定感を堅持します。そうすると、その想いに引き寄せられた現実が、次々に訪れるようになります。

お金で苦労する人は、いつもお金の不足を「恐れています。」だから恐れていたことが現実化してしまいます。

またお金が「出ていくことを嫌がります。」出ていく現象に「心は抵抗します。」これだとお金が循環しません。

だからお金を「エネルギー循環」と考えれば良い。大きく出て行っても、大きく入って来ると「信じている」ので、お金は安心して「戻って来ます。」結論、「お金を愛する者は、お金に愛される。」エネルギー循環を、肯定し愛してあげます。詰まり、お金を「愛と感謝のエネルギー」と見做(みな)す訳です。お金を使う際も「有難うね」と感謝して送り出し、入って来ても「有難たい」と感謝し喜びます。

詰まり、「お金は豊かさであり」、「愛と感謝のエネルギー」と考えます。その時、何処にもお金に対する「否定的想い」や「嫌悪感も嫉妬」も持ちません。否定が無いので、「お金は肯定され」、すんなり懐(ふところ)に入って来れます。

貧者は、お金を拒否るマインドを棄てられません。欲しいけど拒否る。自己矛盾していますね。自己否定感がそうさせます。だから、お金やお金持ちに「嫉妬や怒り」が湧いて来ます。そうでは無くて、欲しいから今既に今ここに有り、私はそれを拒否る事なく、素直に感謝して有難たく受け取る。出金に感謝し、入金に感謝する。使って喜び、受け取って喜ぶ。豊かさとは、必要な時に必要なベストタイミングで使える事です。つまり、無いとか不足とかを感じないマインドです。何時も今ここに全てが既に有ると感じているマインドです。

エイブラハムをスピリチュアルなはずなのに、お金を引き寄せろと説く下世話な存在と勘違いする人たちが居る。彼らは自分の勝手な無理解から、スピリチュアルと物質界を分けて考え、その二つをつなぐ物を捉え切れません。スピリチュアルも物質界も同じ宇宙エネルギーであり、豊かさはこの世にもあの世にも存在しているのです。引き寄せの法則をお金儲けに血道を上げる為の下世話な道具と勝手に思い込んではいませんか?そうでは無くて、貧しさや苦労を何時までも続ける必要は無いですよと言っている。豊かさは自身が創造しなさいと説いている。

全てはエネルギーであり、波動です。豊かさも感謝も愛も宇宙エネルギーなのです。そしてこの宇宙エネルギーが、自分の中に無限に流れ込んで来るように蛇口をひねってあげます。人間はこれまで蛇口を閉じ気味に細々と生きて来ました。自己否定感や無価値や無能感でフタをしていました。エネルギーの流入を拒否って来ました。それが欲しいのに、嫉妬して拒否る自己矛盾の正体です。素直じゃ無い。

だから、此れからは自己矛盾を止めて、「無矛盾な信念体系の自分」に改めて行きます。欲しいから、望む現実だけを想像し、望まない事柄は一切想像しないでおく。そして望む現実を拒否らないで、感謝して受け取る。この数千年間、人間は望まない現実ばかりを恐れと不安から想像し続け、苦難と苦労を体験し続けました。

創造の仕方を誰も教えてくれませんでした。今となっては、数千年の道草も悪くない。だって私たちは、皆んな不老不死なんですから。





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