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時間とは何か?

時間は過去から未来へと、一方向にだけ流れることにして、逆流を認めない。その上で、過去現在未来と3つに区分する。これで1丁上がりだ。時間は簡単に創れる。ただこれを実際に現実化させるには、ビッグバンを起こさないといけない。何故そんな面倒なことをするのかと言うと、プロセスが必要だからである。考えてみれば、あの世にも天国にも地獄にも、明確なプロセスが無い。誰かが時間よ止まれと歌っていたが、まさに時間が動いているのは、この世この三次元空間だけである。あとの世界は、全て時間が止まっている。だからそれを永遠と呼ぶ。止まってんのかよ、つまんないと言いたくもなる。ただ天国の住人も地獄の住人も、何も文句は言わないし言えない。時間が欲しければ、この三次元世界に生まれて来るしかない。それがこの世の魅力であり、多くの霊魂たちが、順番待ちする理由である。この世にプロセスがあることで、種を蒔けば芽を出すし、子供は大人へと成長でき、知性は何かを発見でき、僧は何かを悟りうる。つまりプロセスの無い天国では、何かを悟るのも難しい。だから悟りたければ、この三次元空間に、生まれて来るしかない。悟った後は、どこに住んでもよい。好きな所に住めばよい。そう考えると、時間のせいで、人は老いるしボケるが、時間がないと、成長も進化も悟りも生まれない。デメリットの裏にメリットが隠されていた。時間よ止まれとは、動画を静止画にしただけの話だ。地獄の亡者は、地獄場面だけを無限ループさせ、天国の住人は楽しい場面ばかりをリピートさせ、ここは天国だと言っている。動画にすると、戦争や天災と激動激変になる。時間が動くからだ。ゆえに時間は生き物であり、激流の大河である。結局人は、時間という激流に流され翻弄されて、自分を見失う。上手いこと泳げる人はまれだ。

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