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エビデンスは必要ない

信じる者だけが救われ、信じない者は救われない。

それで何を信じるか?誰を信じるかは問われない。
つまり、これは何を信じるかでは無くて、「信じる」と言う「構造」を語っている。
聖書を信じても、科学を信じても救われない人は救われない。
イデオロギーを信じる者は最初から救われない。
人間はそもそも最初から救われない。
救われない自分を最初に救うのが自分である。
あなたは思想によって救われるだろうか?
思想によって人類が救われると言うのは「幻想」であって真実ではない。

例えば、「この世は最高最善である」と誰かが言ったとする。
その証拠を示して下さいと誰かが言う。証拠なんて示せません。
示す必要もない。
ああ本当にその通りだと気づき悟るしかない。
エビデンスは決して提示されません。
意識が自身の内奥でなるほどそうなのかとうなずくしかない。
自身の世界を其処から再構築していくのが、自分が生きる目的である。

矛盾から無矛盾へと意識は移行する。
それが意識の成長だからである。

自分の矛盾を放置しても時は過ぎて行く。
自分という塊は矛盾の塊だと霧散してしまう。
だからまとまりである為に無矛盾な塊へと進化し脱皮していくしかない。

故に意識が目指すのは「無矛盾体系としての我」以外に無い。
エビデンスは?勿論必要ない。
人類の思想や科学は幼稚すぎる。
だから人類は必要ないのである。

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