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依存するから退化する

例えばボディースーツを着れば、重い物も軽々と持ち上げられる。
これは非力な人にとって朗報である。

と同時に怠け者にとっても「筋トレをサボっていい」口実が出来たのである。

オートマに変わったのでマニュアルの面倒くさい動作を省けるようになった。
結果、マニュアル車を運転する技能は退化してしまった。

こうして人は便利さとは退化なのだと気づかされる。

下剤の助け無しには、便秘を解消できない自分になってしまった時、下剤依存症から脱却するのは大変な困難さを伴う。

かくして、砂糖依存症、買い物依存症、小麦依存症にギャンブル依存症とあらゆる依存症が手ぐすね引いて貴方を待ち受けている。

ライターやマッチのお陰で着火は容易になった。
だが、ライターもマッチも持ち合わせてない事態に直面したら、着火できずに凍え死んでしまう。

海や川で遊ぶならせめて泳げるようになっておこう。
自転車も水泳もいちいち練習しないと身に付かない面倒くさいシステムになっている。
水に落ちたら自然に本能的に泳げるというシステムで無くなっている。
つまり、退化したのである。
泳げないなら水遊びなんかするな。
でも運転免許ないのに車を運転する子供は少なからず存在するから、泳げないけど水遊びしたい子供も大勢いて当たり前です。
でも水遊びしてて命落とすのはなんか釈然としない。
人間とは、「命を落とし易い生き物」なのである。
言い換えれば、簡単に死ぬ。
さっき其処でシュノーケリングしてたけど、あれもう死んでるみたいな。

陸に上がる前は皆んな海を自在に泳ぎ回っていたのに、なんとまあ退化したもんですわ。
陸上生活が長いから、海や川との付き合い方を忘れてしまったのである。

ちょっとの間、息ができないだけで人は呆気なく死ぬ。

溺れて死ぬか、バイクで死ぬか、熱中症で死ぬか、サバイバルゲームに勝者は居ない、だって人類は遅かれ早かれ全員死ぬ、目下の処不死の人は居ないからね。
人間は身体に依存し、食べ物に依存する。
それを食べ物依存症と言ってしまうと、食べ物に依存しない生き物なんて居るわけ無いし。
食べ物依存症のせいで人は糖尿病になり、通風になり、脳梗塞になる。

まだ「食べない生き方」を提唱する人は居ないようだ。

依存と退化の関係は奥が深い。

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