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砂糖依存症

世の中には、パチンコ依存症やニコチン依存症、スマホ依存症もいれば、チョコレート依存症に、シフォンケーキ依存症もいる。人類全員が、何かに依存している依存症患者である。それがいけないと言うのではない。依存症で無いことが、果たして人間に可能なのか疑問である。だとしたら、より建設的な依存症に自分をシフトさせたらいい。弁護士が六法全書依存症になったって何の不都合も無い。ギャンブル依存症の人は、上手くカネの掛からないギャンブルへと、自分を誘導していけばいい。砂糖依存症の人は、砂糖の分量を少しずつ減らしていくことで、糖尿病コースから脱出できる。ニュース依存症の人にニュースを見るなと言っても耳を貸さない。聖書依存症の人は、聖書を生き甲斐にすればいい。人は自分の依存症によって、自らの不幸と災難を選び取る。都市伝説依存症に未来はあるのだろうか。信じる者は騙(だま)されるし、信じない者は救われない。どっちにしたって救われない。人間はデマを信じるが、真実には耳を塞(ふさ)ぐ。それでいいような気がする。他人依存症に、科学依存症。健康オタクは健康依存症なので、健康になってしまうのだろうか。砂糖依存症の人は、恐らく健康志向では無いのだろう。高血糖依存症の人は、重症化すると、足先から足首、そして膝からももへ、痺(しび)れや痛みが、下から上へと這(は)い上がってくる。血管内のブドウ糖が毛細血管を詰まらせ、手足を痺れさせるからである。そして最後には指先を壊死させ、切断する羽目になる。そうなる前に脱出したいが、出来るか出来ないかあなた次第。自分に適した分量の砂糖とはどれ位なのか。適量の砂糖に、適量の塩、適量の酒に、適量のご褒美(ごほうび)が求められている。適量と過剰の線引きは、何グラムとか何杯とか数値で制御するのが一番いい。コーヒーカップに、砂糖は何杯まで許されるのか。5杯は多い気がするけど。

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