「ご報告」によせて


彼は眩しすぎる

さて、「ご報告」をくらった訳である。
ついに三十路の仲間入りをし無事魔法使いとなった翌日に推しの「ご報告」をくらった訳である。

本稿では、声豚歴10年を過ぎたものの実はガチでぶっ刺さるご報告をくらったのは初めてだったオタクの感情を記録することを目的とする。
読んで楽しいものではないだろうし、イベノ上位でもないし、グッズを破壊してもいないのでそういうのを期待している方はブラウザバックをおススメする。




僕と彼女

僕と彼女の出会いは、2019年2月22日に配信された「第2回ガールズニコニコデイズ」であった(最近だと思っていたら4年前だった)。
まもなく大団円を迎える伝説のコンテンツ「ガールズラジオデイズ」出演声優が一堂に会したニコ生番組である。

玉笹シスターズの末娘「玉笹花菜」を演じる彼女を始めてまともに認識したが、穂波明莉を演じる佳村はるかと戦えるレベルの顔面の良さ、クッソかわいい声、末娘役なのにチーム双葉キャストでは一番先輩という要素モリモリ具合に完全にハマってしまった。

それからしばらくしてHAGE御用達コンテンツ「アサルトリリィ」にハマったのが運の尽きだった。
アニメ放送後に触れたがドールと舞台を軸にする稀有なメディアミックス作品ということで、遅ればせながら配信やらライブやらラスバレやら供給が途切れない(ブシロ抜けたけど今後もそうあってくれ…)ことから徐々に沼にはまっていった。
そんな中で、座長を務め露出も多い彼女にも沼っていくのは無理からぬことであろう。


さらに、通勤のお供にガルラジ難民キャンプことイチヤヅケやりすLOG金曜日を聴くことにより、ますます抜け出せなくなっていった。
やっぱりラジオってパーソナリティとリスナーだけの対話感がすごいから、ラジオを聴いてこそっていうのはあるなぁと思う。
ヅケ絡みでシーサイドの円盤にも頻繁に出演していたことも一因である。

ご時世もありリアルイベントでご尊顔を拝んだのはアサリ河口湖ライブとヅケイベント程度の弱いオタクだが、まぁ完全にハマっていた訳である。


これまでの「ご報告」


10年以上声豚をやっていれば「ご報告」なり文春砲なりは星の数ほど浴びてきたのも事実である。
そのたびにコピペや○害予告などが界隈を騒がせた訳だが、個人的には多少の衝撃は受けつつもネタとして消化してきたというのが実際のところだ。
クール毎に推しが変わる汎用護衛艦なので推しは数あれど、ガチハマりしていた時期にご報告をくらったということは経験がなかった。
ゆうてガチ恋期は過ぎていたり、言うほどでもなかったりした訳である。

もちろんガチで病んでしまう者もいるだろうが、ネタとして盛り上がっている者が多いと認識しており、冒頭画像の「幸せならOKです」こそ声豚のあるべき姿だと、少子高齢化社会において顔面がいい女が次世代に繋げることこそ最重要課題であると、このように考えていた訳である。

むしろ、声豚仲間に「ご報告とか逆に妄想に現実みがプラスされて興奮する」などとのたまわっていた。
それとはまた違うけど、ざーさんとか真綾さんとか千和さんとかの話は普通に微笑ましくて好き。

しかしながら、頭と下半身のシナプス結合は上手くいかないのがまた人間なのである。


今回の「ご報告」


2023年3月1日夜、労働からヅケを聴きながら帰宅し魔法使い化記念にポチった「ひとりでしにたい」既刊全巻を読んで不具合から回復したかなーとホームグラウンドことツイッターを開くと「ご報告」が待っていた。
投稿から既に2時間経っていたのだがおすすめ機能は無慈悲である。

刹那、奇声を上げこれも魔法使い化記念に新調した布団に飛び込む。
これが、これこそがご報告か。
今まで分かったふりをして、優等生気取りで、いい子ちゃんで考えていたご報告はこういうことだったのかと。


震災以降広まった感があるが、衝撃的な出来事に際した場合インターネットやテレビから離れておいしいもの食べて暖かくして寝るのが精神衛生上重要だということが語られてきた。

個人的には、熱烈支持!という訳ではなかったが元首相の銃撃事件の報に際した日はこれがあれなのかと感じたほどショックを受けた。
ブラクラを踏み検索してはいけない言葉を検索してきたネット民としてそっち系の耐性はあるつもりだったが、支持するしないに関わらずあれだけ見聞きしていた人物のセンセーショナルな死に際するとこうなるのだなぁと妙に冷静な自分が居るのを感じつつそっとネットから離れた。


今回はそれに似た感情を抱いた。
年を取ったせいか新たなコンテンツに接する気力も低下し、ここ最近ずっと一柳隊キャストに入れ込んでいたせいもあるのかもしれない。
しばしのたうちまわり、深夜にも関わらずFPの勉強をし普段やらない家事を済ませ、インターネット辞めろとインターネットで呟き床に就いた。


翌日も労働に向かった訳だが、しばらくするとショックから「理解らない」「腑に落ちない」という感情に変化していることに気付いた。
彼女のルックス、パーソナリティに起因するところも大きいのかもしれないが、直筆のご報告を読み返しても、このタイミングで生配信された番組で本人の口からご報告を聞いても、日本語が理解できてもわからないのである。

アメリカの精神科医エリザベス・キューブラー=ロスは「死の受容のプロセス」には否認、怒り、取引、抑うつ、受容の5段階があると主張した。
多大なショックという意味では援用しても差し支えないと思料し雑に当てはめると、現在は「抑うつ」あたりなのかもしれない。
受容できる日も近いのかもしれない。

一方で、ものの本でカンボジアだかルワンダだかの派遣に参加した自衛官が毎日道端に死体が転がっている状況を見るにつけて「感覚がマヒするっていうのも人間にとって必要な機能なのかもしれない」と語ったという話を読んだ。
たかが「ご報告」で何を、と思われるかもしれないが、声豚という生き物にとってこうしたものに匹敵する衝撃と影響力を持つものなのかもしれないと実感している今である。


それでもデイズは続く


ご報告を喰らおうが、見知った人の生死に触れようが、自分がそこにある限りデイズは続いていく。

今はまだ幸せならOKですとは思えず、花や草に生まれたかったという方が近い心持ちであるが、なんとか日々をやっていくしかないのである。
受容できる日を信じて、日々を過ごしていくしかないのである。
一般男性になるためにはクライアントになるのが現実的などと語りつつ、なんとかやっていこうではないか。

最後にせめて字面だけでも。
おめでとう。そしてこれからもよろしく。









F○CK!!!!!!!!!!!

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