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上京物語

あさって2/10、地元のEarly Believersというライブハウスに出演するため、明日から福岡へ飛びます。

最後にあそこでやったのは高校生の時なんでもう10年以上前か。イヤで出て行った福岡も、居心地の悪い東京もだんだん好きになってきました。
ちなみに一番好きなのは台湾。

お近くの方はぜひ、21:00ごろからやります。
お気軽にご連絡下さいませ(僕に)。

別のブログに書いていた「上京物語」、福岡ついでにこちらに再載しておきます。長いです。







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僕は何年も牙を研ぎ続けてきた。

海の近くの故郷から東京の地下室、数々のホールやスタジオやバーにライブハウスに。
女々しくて、考えばかりが巡ってたまにショートしつつ、たまに人を傷つけたりして、気が付いたらずいぶんと極端な人間になってました。

いや、多分元からそうだったんだろう。熱風に吹かれ、殻も焼き尽くされて生身の自分が出てきた。
恐らくみんなもそうであるように、段々と自分の居場所や在り方が見えてきた。


「○○っち映画みた~?あの、クリントイーストウッドが出とるヤツ!」

真夜中のTSUTAYA、方言丸出しで僕を呼びつけた友人はこの世からいなくなった。

16歳の夏、僕の目の前に現れた金髪のギタリストは、最後まで僕に色んな「あそび方」を教えてくれた。
自転車の二人乗りの方法から、電車をタダ乗りする方法、タバコの吸い方、酒の飲み方、ピアスの開け方、タトゥーの痛さ、ピザの作り方まで。 


15時になれば制服のまま自転車で街に出て、学校にいってたハズの彼と落ち合う。
やることは毎度決まっていて、タワーレコードで新作の洋楽を並んで聴き、ファストフード店でその感想を語り合う。日が暮れることも珍しくなく、それだけのことをほぼ毎日続けた。

私立高校の制服を着て少しぽっちゃりした僕と、金髪パーマの頭にヴィヴィアンのパーカーを着たガリガリのヤンキー。
お互いがふつふつと感じていた疑問や怒りを、すぐに感じとれる僕らはウマが合った。

かんたんに悪口を言う、悪態を付く上、どこでも煙草を吸う。小銭を数えながらご飯か煙草を買うか真剣に悩むもんで、大体ご飯を奢るハメになる。

気に入った相手のことについてはとにかくうるさい。
大好きな音楽や友達のことを喋り出すともう最後。こっちが飽きても、自分が飽きるまで話は続く。 

「オマエは一日に一回だけ、良いことを言う。
それ以外はワケ分からん話ばかりだから常人は二時間が限度だ。」
と評論したのは僕だが、

「それ、オマエのことやんけ」と笑われた。

 

僕らには「ロックスターになる」という共通の夢がある。

父親が働いてない僕たちは
「大金稼いで福岡に家を建ててやる、
親を住まわせて旅行でも、って金渡してやるんだ」
と息巻いていた。

そんな僕らが足りない頭で考えたのは
「アメリカのロックスターみたいになれれば、大金稼げるくない?」という道筋だった。

 きっとこの時、タトゥーのある人生になるのが決まったんでしょう。
それでも親孝行考えてるオレらは素晴らしい、と彼はセブンスターの煙を吐きながら言った。


18歳の春。僕ら二人は池袋にいた。
ギリギリで学校を決め、入居の手続きをまちがえた彼は二週間、自分の住む部屋に立ち入れなかった。
引越しの荷ほどきにもちょうどいい、と先に上京していた僕は、池袋にある自分の部屋に居候としていてもらうことにした。
しかし実家から持ってきた敷布団はシングルサイズで、当然一組しかない。

「オマエ布団使っていいよ、俺この毛布で寝るわ。」
「いや半分ずつ寝ればいいやん、まだ寒いし。」
「狭いやろ。」
「まあ、それもまたいいやんか(ニヤニヤ)」

カーテンのない部屋、眠りを忘れてずっと話していた。これから組むバンドのこと、学校の勉強のこと、地元に残してきた彼女のこと、ギターのこと、音楽のこと。

翌日。

「狭いな。」
「うん、狭い。」

寝不足の真っ赤な目で、船橋のIKEAまでベッドを買いに行った。
届いたセミダブルのベッドを組み立て、夜ベッドで寝ていると彼がもぞもぞと僕の隣に入ってくる。

「…敷布団、背中がいてぇ。」

二週間が経ち、嬉々として彼は出て行った。お互い念願の、東京での一人暮らしが始まる。
が、「ライブ帰りは(飲んでるから)自宅に帰れない」「帰るのが面倒」「あんな遠いところに住まなきゃよかった」「明日が早い」「女が帰ってくれない」と、色んな理由をつけてよく池袋の部屋に来た。ビールとギターをぶら下げて。

霊が見える、という俺の知らない友達を連れてきたこともある。
「この窓がやばい」「このベット脇にいる」だの大騒ぎした結果、心霊写真が撮れてしまった。供養、といって当時流行ってたmixiにアップし、友人連中にさんざん怒られた。


「よし、タトゥー入れるわ。ロックスターやし。」

ある日、クーラーの効いた部屋で映画のエンドロールを眺めながら彼は宣言をした。

「マジで?ついにいくん?」
「おう、実はもう横浜のスタジオで予約しとるんよね、オマエには言わんかったけど。」
「え、いつやんの?」
「明日。」
「明日!?」

当日。
夜、池袋の駅前で落ち合った彼の腕には、白いラッシュガードが手首までみっちり巻かれている。嫌な予感がする。

ちょっと見してみ、と剥がしてみると肩から手首までビッシリ。俺ドン引き。普通、最初はワンポイントとかから始めるんじゃないの、何なのその思い切りの良さ…。

彼は「金がない。が、ピザが食いたい。」と、ドライイーストから海塩まで取り寄せ、即席のピザ窯を自宅に作るようなヤツだ。ブレーキはなく、やる時は過剰なまでにやる。

18歳の夏。うっとりと自分の左腕を見ながら酒を飲んでる。おい、ちょっと声がデカイって。未成年がバレるやろ。


そういえば、彼と一緒に演奏したことが一度もない。しようと思ったこともない。
もしかしたらお互いをライバル視してたのかもしれないが、一度だけ演奏を褒められた事がある。
電子ドラムを自宅に置いていた大学時代、地元のみんなで集まってる時に勉強してた技を披露してみた。
「うわー!オマエ頑張ったなー!!ウチのドラマーにももっと練習させるわ!!」
こういうヤツである。お前は頑張らんのか。


褒めるのが上手な人は自分の立ち位置・在り方が分かっている。他と比べてどうなのか、自分と比べてどうなのか、その物差しを持っていてそれがブレず、強い。
自分の弱さを見せられる強さ、僕もそうありたいと常々思っている。そういう人は相手に好かれる。


彼も徹底的に強い。
さらに相手の良いところを見つけるが天才的に上手だった。

初めて彼女が出来た時、大学に受かった時、いの一番に報告した。
絶対に褒めてくれるし、そうして彼が楽しそうにしてるのを見るのが何より楽しかった。
そしてコロコロと笑うので「あの子はヤンキーだけどカワイイ子やねぇ」と僕の母も、ばあちゃんさえもお気に入りだ。

 

「このときが来たか。」

彼の訃報を聞いたとき、ショックではあったが妙に冷静にだった。

自他共に「短命である」と言っていた彼は27歳でこの世からいなくなった。律儀にロックスターのルールを守った。

自殺なのか事故なのかはわからない。僕と同じく、寂しがり屋でロマンチストな彼はそっと一人でいってしまったんだろう。僕にはわかる。

熱を帯びた頭を冷やそうと池袋まで歩き着いたとき、突然それが起きた。

雑踏の音は消え、暗闇が視界を塞ぐ。
頭の中に大きな波が入ってくる。飲みこまれる。
急いでパブに入ってビールを飲んだ。何杯飲んでも喉が渇く、手の震えが止まらない、立っていられないし、声も出ない。涙が止まらない。

僕は何か取り返しのつかない、とんでもない事をしてしまったんじゃないか?

大きな、一番大事なものを失くしてしまったんじゃないか?

未来の僕と一緒に笑ってる、大事な人と二度と会えなくなってしまったじゃないか。

紹介したい友達もいる、会わせたい人もいる。

一緒にやりたいことがたくさんあるのに。

 

溢れだす涙を補うほどに、とにかくビールを飲んだ。心配してくれた友達も飛んできてくれた。
「死んじまったな、ってこうやって話してるのをアイツは望んでるんじゃないか。」と友達はいう。
違うんだよ、そうじゃない。そうなんだけど、そうじゃないんよ。そんなに強くないんよ、俺たちは。


折しも僕が異国でライブをしていた時だったらしい。僕はあの時、何かを感じ取れたのだろうか。
風が吹いたり、頭に何か浮かんだり、何か起きていたのなら僕は嬉しく思う。
それに気付けなかったのなら悔しく思う。答えは分からないまま。

それから福岡に帰る機会がたびたびあり、その時間も設けてみるものの、直前になって会いに行く気が失せる。用意していた彼の好きだったジャックダニエルは晩酌に消える。

未だ福岡に家を建てられてはいないが、昔の僕からみればかなり色んなモノを手にしてきた。
きっと台湾や海外で演奏したよ、って話せば「すげー!」って褒めてくれるだろう。でもそこじゃない。

「いない事を認めたくない」、そういう訳でもない。
ただ、まだ胸を張って言える言葉が見つからないだけだ。

自立とは「孤独になっても生きていける」ことではなくて、
「きちんと誰かに頼れる」こと。

そんなことに気付いた今の僕はもっと強くなりたい。
どうしようもないくらいに優しくなりたい。

すごいことは言わなくていい。優れた所がなくてもいい。
粛々と歩いて、会いたい人に会って、生きるだけ。
僕はそれでいい。僕はいま会いたい。

なぜこの様なことを書いたかは分からない。
ただ何回目かの東京の春が、もうすぐくる。


 2018/3/3

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