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持続可能な精神エネルギーについて(仮)雑記_2

 前回、達成感や承認欲求について少しだけ書きました。

何となくですが、この2つは持続可能な精神エネルギー(プラス)ではないように思います。

達っしていない状態であっても、向かっていれば良いと思うのです。

それは、精神が持続していると言えると思います。

ただ、何を対象として向かっているかが重要なのではないでしょうか。

タイミング良く、先程、思いついたことがあります。

もしくは発見したと言い換えても差し支えないことだと私はそう思ったのですが、

「閃き」を得た瞬間というものは、水路のせき板を抜いたかの如く、

せき止められたエネルギーが現状の幾倍で溢れ出るような感覚になると思うのです。

つまり、向かう先はあったのだけれど、壁にぶつかり行き止めを受けた状態であったものが、何かのきっかけで壁を開き、さぁようやく進めるぞと、ドンドン行くような感じでしょうか。

と、切りが良いので、ここで一区切り。
何を閃いたかの話をさせていただきます。

自分は自分の心が、今どのような思いでいるのかが分からない。

分析を試みても、上手くいかない。

上がって来て、ふと、落ちていたことに気づき、何が原因だったのか?多分、あの事が尾を引いていたのだろうと思うばかりで、その時は気づかないのです。

そのことについて、平常心を意識するだとか、もしくは心の平温を知っておくことが重要であると、表現される方も居られますが、その測り方が分からない。

心の温度を測る心温計、何を持って心の温度を測るのか

という問い掛け。それをつい今し方、閃きを得たというわけなのです。

正解、不正解かを問わず、これかも知れないと閃いた、そのものとは、「明日を考えること」これが心の温度計なのではないでしょうか?

一旦、最初の問いに戻ります。

精神が何処に向かっていれば、それを持続可能な精神エネルギーと呼べるのか?

...未来とかなんですかね。

急につまらなくなったというか、チープになった気がします。

いやでも、だからこそそうなのか。

道を作れていない自分には、未来思考が薄いのです。

切り開いた人は、その道を歩んでゆくのです。

ともに道を歩んでゆく人たちは楽しそうです。

ゼロを1にした人。仲間がいる人。

結局のところ、人的資本、社会資本、金融資産と言ったものに落ち着くのでしょうか。

と、まぁそれは兎も角として。

心温を測る方法は、明日を考えることではないか

について、少しだけ考えて今回はお終いにしようと思います。

明日のことを考えてない時というのは、もしくは、明日が憂鬱で仕方ないときでもよいですが、その時の心温は平温ではないと思うのです。

まぁそういうことで、おやすみなさい。

          END



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