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エデンを目指して

 先日、資料作りの為にバインダーを買いに出掛けた。

A5の20リングバインダーである。
これを私は重宝している。

時々買い足すのだが、いつの間にか、何かが書き込まれたルーズリーフがそこそこに挟まれており、新しく別件を書き始めることに支障を来す、という事態を繰り返していた。

試しに、何冊あるのか数えてみた所、30冊であった。乱雑に書き込まれ、内容もバラバラなものが、何冊も見受けられる。

自分は1冊のバインダーに異なることを書くのが、不得意である。

カラフルなインデックスが付属していても、それを使いこなすことが出来ない。

似たようなこと、同じグループ、確かに一冊のバインダーにまとまりそうなのに、そうならない。

というか、際限無く広がって行くというのか、いつの間にか秩序が乱され混沌として、次第に違和感が拭えなくなり、開くのも嫌になる。

そうして、たまにルーズリーフが大量に破り捨てられ、ほどよく燃えそうな可燃物となる。

大雑把に言えばその様なことが起きるのである。

想像と破壊を繰り返しているのだ。

頭の中の物事をきちんと整理して、一項目づつ収めていけば、見返したくなるようなバインダーが出来るのではないだろうか。

そうなれば、あれはどうだったかと思い出そうとする時、あのバインダーの中になんと書いてあったか、、と考えれば済むはずである。

脳味噌の外付けメモリーに参考書を入力しておきたいというようなことであろうか。

とにもかくにも、今回まとめて購入しようという算段である。

めんどうだとネットで買うこともあるが、100均が安くて質も良く、数を仕入れるとなると流石に値段が変わってくる為、旅立つこととした。

では、思考の混線と曖昧さを無くして、
カテゴライズを確立する旅に出掛けようか。

私は、1人頷くと扉を開けた。

我が愛機、グラストラッカーに跨りエンジンを掛ける。

疾走する。

風が身体を蠢いている。

確かに生を感じる。

一瞬か、悠久か、それがどちらであったのか。

私は、辿り着く。

エデン...

(ダイソーと多くの人が呼ぶからと言って、そうであると果たして言えるのだろうか...私が問うているのは、一種のメタファーやサイケデリックな戯言では無く、可視化した魂であり、生きとし生ける者の営みであり、静寂であり大地なのである。)

(本文にて、英訳的な分かりづらい文章がご迷惑をおかけするかも知れません。)

(重ね重ね、お詫び致します)

深夜にて、、不可解はあっても意味はない。

すっきりしない、それを人はまどろみと呼ぶ。

ただ眠れば良いだけ。おやすみなさい。

         END





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